フロッギング・モーリー @ リキッドルーム恵比寿 (16th Apr. '09) with シヴェット & ストリート・ドッグス
やりたい音楽をやること
開場のころにリキッドルームに着くと、入れ墨やモヒカンの人たちが目につく。もちろん普通の人もいっぱいいるのだけど、仕事帰りでネクタイを締めていた自分はちょっと気後れしてしまう。最初に登場したシヴェットは、ロサンゼルス出身女の子4人のバンド。「肉食って発育しました」的な体型から繰り出されるパンクロックは芯が太く迫力ある。音もずっしりと重く、甘えたところは一切ない。リズムが大体同じ感じでヴァラエティーに乏しいのがちょっと残念だったけど、ステージ前では激しく反応している人も目についた。
次に出てきたのは、ストリート・ドッグス。ドロップキック・マーフィーズの元メンバーだったので、アイリッシュ寄りかなと思ったけど、最初の方はメロコアぽい感じだった。親しみやすく、迫力あるサウンドで、お客さんを巻き込んでいくパワーはすごい。ヴォーカリストのマイク・マコーガンの献身的なステージの熱さが伝わってくる。ステージ前で体調を悪くした女の子を見つけると、演奏を止めさせて、「シーズOK?」と心配して、何度も尋ねる。彼女が大丈夫だとわかると、フロアに向かって「シーーーーズ、オウケェェェェェイイ!!!!!」と叫んで演奏に突入したところなんかは鳥肌ものだった。演奏を中断してまでお客さんを心配するところ、そして、その中断からお客さんの心をひとつにする力はすごかった。こういう周りの状況に気を配れる人から学ぶところは多い。
21時を過ぎたころ、フロッギング・モーリーが登場する直前にラモーンズの『電撃バップ』が流れると、フロアにいたお客さんたちが一斉に「ハイ! ホー! レッツゴー!」と大合唱を始めた。パンク好きなら歌えて当然だろ? くらいの勢いで、まるでパブロフの犬のような反応だった。オープニングアクトのシヴェット、ストリート・ドッグが十分すぎるほど会場を温めていたおかげもあるけれども、それでもなお高すぎるテンションでバンドを迎えたのだった。
2004年から毎年のように日本に来ているので、すでに馴染みになっているおかげで「まずはお客さんの反応を見ながら手探りで」ということはなく、始めから会場全体の呼吸が合っていた。この信頼感がすごい。フィドル(ヴァイオリン)、アコーディオン、バンジョー、アコースティック・ギターと伝統的な楽器とエレクトリックギター、ベース、ドラムで作り出されるのは、アイルランドの民謡に根差したパンクロックである。リーダーのデイヴ・キングはすでに貫禄あるおじさんだけど、やたらパワフルで元気だ。ウーロンハイを飲みながら次々と繰り出される演奏に合わせて、ステージ前では、モッシュそしてダイブの嵐になっている。
アイリッシュとパンクの組み合わせは、もはやひとつのジャンルとして定着している。ポーグスに始まり、このバンドやドロップキック・マーフィーズのおかげである。こうした音楽が多くの人に求められていたのだ。バンジョーやアコーデオンやフィドルの牧歌的な響きと民謡ぽいメロディは、曲に加速をつけ、奥行きを与え、フロアにいる人たちの心をひとつにする。ステージ前ではパンクスが暴れまくっている一方で、バンドの奏でる音に懐かしさを感じ、心が温まる。パンクも歴史を重ねるにつれて、いろんな面を持つようになった。セックス・ピストルズやハードコア・パンクのように「壊す」パンクがあるかと思えば、メロコアやスカコアやこうしたバンドのように人と人を「つなぐ」パンクもある。
"Drunken Lullabies(ドランケン・ララバイズ)"のバンジョーによるイントロから、サビの大合唱に至る盛り上がりはすさまじいものだった。フロッギング・モーリーはアイルランドの伝統とパンクをつなぎ、バンドとお客さんをつなぎ、お客さん同士をつないでいく。デイヴ・キングは、元々ヘヴィメタルバンドで、ロバート・プラント張りに、甲高い声でシャウトしていた人である。それがダミ声でアイリッシュなパンクを歌うようになる紆余曲折の道を歩んでいる。そうした彼の一筋縄でない経歴とアイルランドの人たちが背負った歴史が重なる("Devil's Dance Floor(デヴィルズ・ダンスフロア)"の終わりで、デイヴが「ハイーウェイ・トゥ・ヘ〜ル」とAC/DCの『地獄のハイウェイ』を鼻歌で歌ったところに元メタル野郎の片鱗を覗かせた)。彼だからこそ「やりたい音楽やる」ということにしっかりとした重みと説得力を与えられた。そして演奏している本人が一番楽しんでいるように、音楽をやる喜びを全身で表していることが伝わるのだ。
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report by nob and photos by maki
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