ワールド・ビート 2008 @ 日比谷野外音楽堂 (6th Jul. '08) feat. 渋さ知らズ・オーケストラ、シンク・オヴ・ワン・ウィズ・キャンピング・シャアビ & バルカン・ビート・ボックス
闇市の祈りとレジスタンス
【intro】
霞が関の駅から出た瞬間に、湿気まじりの暑さと鳴りもののゴキゲンな音が襲ってくる。 イスラエルからNYへ渡り、突然変異を地でいくバルカン・ビート・ボックス(以下、BBB)に、ベルギーからモロッコだったりブラジルあたりとくっついたり離れたりして楽しくやってるシンク・オブ・ワン(以下、TOO)を出迎えるのが、あの、渋さ知らズオーケストラ。彼らがいるなら、開場すなわち開演である。しまった。
何処からかこれほどけったいなイベントの情報を取り寄せ、わさわさと人が集まってくるっていうんだから不思議なものだ。夏に一度はエンヤートットと一緒になってやりたい気にさせる、地球を玉乗りするかのように世界を巡る渋さの力添えももちろん強力なんだが、友人は「誰が出るとかあんまり知らないけど、前のワールド・ビートが楽しかったから!」とキッパリ。雰囲気に惚れたんなら、イベントとしてこれほど素晴らしいことはない。
【渋さ知らズオーケストラ】
大手企業のオフィスと中央省庁が並び立つ経済と迷走のど真ん中で、アングラな前衛舞踏とバナナとスパンコールにハッピふんどしが舞い踊る。 玄界灘の兄ちゃんも「野音はマザー・シップ」と軽やかに吹いて、要は、拠点ということが言いたいらしい。おまけに「G8で来れなくなった人もいるだろうけど…」と、デモ参加者にチラッと触れる一幕も。ここまでいくと違和感を通り越して、頭上の抜けた空のように爽快だ。そういえば、未だかつて屋根のあるところで見たことがないし、雨が降っていた記憶もない。やっぱりヤツらは、おかしな夏とカウンター・カルチャーの象徴なのだと思う。
"ナダーム"に"本田工務店のテーマ"はもちろん、ジャズやらロックやら様々なアプローチが、ダンドリストの身振り手振りでひとつになり、昭和日本のサブカル磁場が残る街「新宿」を生む。国境お構いなしのジプシーには、漢字にハングルが当たり前に溶け込み、酉の市ではいまだに見世物小屋が用意される街の毒々しさで対抗し、アクの強さを見せつける。各々のテクニックを持ち寄るパフォーマンスの闇市を展開し、ねっとりとした初夏を彩っていた。
【シンク・オヴ・ワン・ウィズ・キャンピング・シャアビ】
ベルギーはアントワープのトラベラーズ(定住しない人たち、生き方はジプシーそのもの)が結成したTOOが、国を飛び出てモロッコの伝統と組んだ。「シャアビ」とは民謡から発展したモロッコの音楽スタイルでもあるが、もともとは「大衆、民衆、庶民」を指す言葉。おそらく、雑食甚だしいTOOは、その本来の意味を知り、自分たちの生き方と、祭礼で占い師や厄よけのまじないを施す人がグナワの唄うたいだったりする背景を掛け合わせて「キャンピング」を冠したのだろう。
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』という、ライ・クーダーの思いつきから始まった名作映画があったけれど、そのイメージと少し重なる。TOOと御大ライが違うのは、ライがキューバ勢の迫力に飲み込まれ、刺身のツマ的な存在感でしかない(勿論、世界へ伝えた役割は大きい)のに対し、TTOははるばる世界を巡って得たものをフルに活用しながら、グナワに代表されるモロッコ土着のビートをふりかけるといった具合に、まるで新しいものを創造しようとしているところだ。
つるっとしたジャンベのようなダルブッカ、直方体に皮を張った三線のような音色を出す弦楽器に、縦に構えるフィドルやらギターやらホーンが絡む。ジブラルタル海峡で隔てられた、不変のモロッコと変わり続けるヨーロッパの音楽シーンが溶け合うステージは、変拍子ということもあって、いまだかつて体験したことがない強烈なトランス感覚が襲う。親ほど歳の離れた婆ちゃんの歌唱は独特な尾をひいて、何を歌っているのかまるでわからない。時折飛び出てくるおっちゃんは、グナワ独特の鉄製カスタネットを鳴らしながら、頭の房をグルグルと振り回し、出オチの笑いの代わりに熱狂を誘う。コール&レスポンスもバッチリはまり、野音の雰囲気は何が起きても面白いという高みまで引き上げられている。
僕らは、それを豊穣の祈りとして捉えているわけではないけれど、喜びを与えてくれることには違いない。野音のライヴで、雨乞いの祈りがベースになってる、なんてことがあるのかね?
【バルカン・ビート・ボックス】
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マノ・ネグラの登場以降、ジャンル無用で攻め立てるごった煮バンドのサンプリングといえば、叫ばれる政治的メッセージに裏打ちされた非常サイレンの音だ。だが、それもBBBの手にかかれば雄鶏の鳴き声となる。甲乙つけるわけではないけれど、動物ってのが、どこか新鮮。もちろん、警報の意味合いもあるのだろう。ジプシーはひととこに定着しないという性質上、会った人(頼るべき人)のことは絶対に忘れないというけれど、動物の感情表現もウチらよりは理解しているのかもしれない。
ダブ処理の施されたベースとギターが沈む中、金管の輝く肌を痛めつけるかのようなブロウがなだれ込む。タメル(MC=レゲエDJ)はパーカスを激しく打ちつけ、次の瞬間にはホーン隊の間を切り裂いて走り出てくる。手元では収まりきらない瞬発力が、彼をぴょんぴょんと跳ねさせて、目で追っかけるのが大変なくらいだ。マイクを口にあてがえば、息切れ知らずのザラついたトースティングは啖呵をきり、オーディエンスをまくりあげている。ホーン隊にしても、パパパパパッ…と短く切るジプシー独特の奏法をやりながら動き回り、相当なしんどさだと思うのだが、何故かこちらもひとつもブレがない。ただ両者に共通して、光る汗とこめかみの血管に、尋常じゃない様子がうかがえる。必死だ。
打ち込みのプレートの上に、ベース、パーカス、ギターにサックスという人力パートの肉が乗り、民衆をアジテートする言葉がトッピングされた大陸経由の新しい味は、その場にいるオーディエンスをドレッシングとして、常に場に合わせて変わり続ける。美食家かと言えば当然違う。お先に渋さが作り上げた闇市に入り込み、貪欲に、あるもの全て丸呑みしてしまう勢いでオーディエンスをさらっていったのだ。
【outro】
旅の魅力に取り憑かれた人間が生み出す文化は面白い。思えば、今回の出演者は、生まれ落ちた環境にしろ、後付けにしろ、メディアに乗らない世界を見てきている人々ばかり。社会を計るものさしがしっかりとでき上がっている。イベントを企画したプランクトンの、最後のプレゼントとしてのセッションは、すべての線が旅というものに帰結していることを改めて教えてくれる。教えてくれているのに、自分らも見たいという気持ちが伝わってくる。セキュリティの人もリズムをとっているし、ビールも飲んでいる。すべてがそんな感じなのだ。
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report by taiki and photos by sam
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