クルーキッド・フィンガーズ
w/ キセル、パンダトーン、吉村秀樹(ブラッドサースティ・ブッチャーズ)、フォーク・スクアット & くらげ @ 渋谷オーネスト (5th June '06)
その赤い顔に秘められた情熱
ずっとずっと昔。音楽という概念も無く、民族がそれぞれの音を奏でていた時代。歌というものは言葉の役割を果たしていた。吟遊詩人たちは歴史や物語をメロディーにのせる事で多くの人々を魅了し、その歌は子の世代、孫の世代へと引き継がれてきた。
Crooked Fingersのエリック・バックマンの口から紡ぎ出される歌声は魂を喚起させるような、正に吟遊詩人の歌である。このどこか洗いざらしの布のようで、柔らかい歌声が、あの90年代を駆け抜けたパンクバンドArchers of Loafのものと同じだと聞いたら驚愕するのが当然で、彼の熱狂的な信望者たちはそれを拒否してしまう恐れもある。
そのような不安に駆られることも無く、エリックは彼の音を作り出すことに専念した。20曲以上をレコーディングしたにもかかわらず、半分近くを潔く切り捨てることによって、彼らのやりたかったことを明確に表せたと本人が語るように、このアルバムには無駄なものは何一つ無い心地のよいものに仕上がっている。
彼らの通産4枚目で、最新作である"Dignity and Shame"というアルバムを一見してもらうと、そのジャケットの表紙の闘牛士の強烈な赤い色をした顔が目に焼きついてくる。その赤はこのアルバムに秘められた、煮えたぎるような情熱の赤なのだろうか?エリック本人にこの赤い顔の意図を聞いたところ、やはり南米やスペインの映画(彼はアカデミー作品『オール・アバウト・マイ・マザー』や『トーク・トゥ・ ハー』を撮ったペドロ・アルモドヴァルからの強い影響を熱く語ってくれた)などが持っているあのエネルギーをアートワークで表現しようとしたところ、自然とこういう形になったと語ってくれた。このジャケットを見て、CALEXICOの一連のアートワークを彷彿させられるというのは何ら偶然の話ではない。「ミュージシャンからは極力影響を受けないような状況に自分の身を置いている。」とエリック自身は語っていたが、そのまんまではないにしても、音のテクスチャーや多くの部分で彼らの影響を受けているということは否定できないだろう。現に彼らはCALEXICOのサポートバンドとしてツアーを回ることが決定している。
キセルなどの日本の個性的な前座のバンド達は彼らの事を良い意味で知らなかったので、緊張することも無く、ゆったりと彼ら自身の音楽を奏でていた。ゆったりと自分たちで楽器をセッティングし、運び込まれる巨大なチェロやピアニカなどがどのように彼らの音楽に色を与えるのだろうと期待する間もなく、彼らの演奏が始まった。
エリックの大きな体はO-NESTのステージには不釣合いな程の存在感だ。しかしその大きな体から発せられる歌声はその体から出ることが信じられないような柔らかい。その声にぴったりと寄り添うようなストリングの音は音源で聴く音よりも艶かしく、情熱的である。ルーツロックと括ってしまうのはあまりに安易すぎるし、彼らの音を一つの枠に填め込んでしまうには危険が伴う。一枚の写真を撮るように、その一瞬をこの耳に焼き付けていかなければならないので、多くのチャンスを失いたくなければ、頭の中を空っぽにして彼らの音に向き合えば良い。
アンコールでは、ステージの上から飛び出し、観客のフロアに降りて、彼らの回りを観客が囲むという形になった。アンプを通さず、生で演奏するという、驚きのパフォーマンスをやり遂げてくれた彼らのライブは、それを見た観客の一人一人の口から、また他の人へと語り継がれていくことだろう。それは華美された伝説なんかじゃなくて、事実であったという事を此処に記しておきたい。
-- Set-list --
Islero / Leave / Weary Arms / Call To Love / Bad Man / Lonesome / Andalucia / Twilight / Sleep All Summer / New Drink
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report by sumire and photos by izumikuma
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