Asian Dub Foundation w/ African Head Charge @ Zepp Tokyo (15th April '05)
余韻覚めやらず

African Head Charge
どろっとしていて、ゆったりと横揺れチルアウト…そんな、いわゆる「ダブのオト」を思い描くと、あっさり裏切られることだろう。ごちゃごちゃと過剰なエフェクトで武装するのではなく、最低限のディレイを用いて見事にダブワイズされた音像は、うねりをともなって矢継ぎ早に責めたててくる。ボンジョの手は、中音域に加え、へりを打ち抜く高音と、手のひら全体で押さえつける低音を高速で叩き出し、視覚と聴覚を刺激する。その口からは「ジャー、ラスタファーライ!」の言葉がしきりに飛び出し、ラスタファリズムがいかに素晴らしい教えであるか語る。おそらく、彼らにとってライブとは、生き神の最たる存在であったエチオピア最後の皇帝、ハイレ・セラシエ1世と交信する唯一の手段なのではないだろうか。凄まじい加速度の中に見つけた、痙攣のような横揺れを感じながら、ふとそんなことを思った。
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Asian Dub Foundation

ジャングルビートとドラムンベースはサウンドシステムを最大限に震わせ、戦地さながらの緊張感を伴って、攻め立ててくる。これ以上はないと言っても過言ではない音のセッティングと、それらをレッドゾーンぎりぎりまで活用し内蔵を捻り上げていくADFに舌を巻くばかりであり、難解な詞を収めたレヴェル・ミュージックは、考えさせる第一歩としての意味合いを十分に発揮していた。
誰が抜けようと、逆に誰が新たに加入しようと、ADFは受け入れられるだろう。確かに、アルバムごとに毎回違ったアプローチをして驚かせてくれるが、デビュー以来の重き言葉と音圧は変わったことがない。絶大な信頼を集めるには、それなりの理由があるのだ。 |
横一列のモニターをはじめ、すべての機材が縦横中心のレイアウトに基づいているのを見て、遅まきながらMCの定位置なんてものは存在せずステージを駆け巡るバンドなんだと察知。いわゆるミクスチャーと呼ばれるバンドのライブを見るのは初めてだったのだが、落ち着いて考えればそんなことは容易にわかる。きっと、AHCの熱を引きずっていたのだろう。
世界中に存在する音というオトすべてを吸い上げたあげく、わしゃわしゃと固めて投げつけてくるようなトラックに、チャンドラソニックのキリキリと締め上げるギターが生傷をつけていくと、前方の人口密集地ではモッシュとダイブが、後方では一人ひとりに与えられた十分なスペースを生かした暴れはっちゃくなダンスが繰り広げられた。ステージ〜フロア間をしきりに往復する鋭角なビートと、煽り屋・MCスペックスのフロウが、極東の血(地)をさらにたぎらせてゆく。
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report by taiki and photos by izumikuma
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