『つづらおりの宴』 feat. ソウル・フラワー・モノノケ・サミット、山口洋他 @ 長田神社 (16th Jan. '05)
10年分のイャサ、ホォヤ
| 1995年1月17日の阪神大震災からちょうど1年、冬枯れた辺りの更地に重機の音が響く神戸市長田区の長田神社で催されて以来、震災10周年を機に今年9年ぶりに復活した草の根イベント『つづら折りの宴』。出演者の顔ぶれもソウル・フラワー・モノノケ・サミット、石田長生、山口洋(ヒートウェーブ)、ちんどん通信社、パク・ポーなどなど9年前とほぼ同じなら、運営スタッフ、ヴォランティア、そしてステージを見つめるお客さんの顔ぶれも、また同じ。
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ボディを黄色と黒の縦縞にペイントしたアコギを抱えて、「民族楽器持ってきました」と笑う石田長生。黄色と黒はもちろん阪神タイガース・カラーなわけだが、大阪弁の抑揚とブルース・コードが導く張りのある歌声は、あっさり、さっぱりしていて、憂歌団がコテコテの新世界なら、この人の歌は港町神戸がよく似合う。上田正樹は、港でも南港のほうか。意外だったボブ・マーリーの"レデンプション・ソング"も、どこからどう聞いても、港のヴェニューが似合ういっしゃんの歌になっている。
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大阪で仕事を終えてから僕が駆けつけたときには、イベントはもう佳境に入っていて、ちょうど山口洋 with リクオのステージが始まるところだった。95年、震災の年にリリースされた中川敬との共作『満月の夕』は、ソウル・フラワーのそれとはアレンジはもちろん、節回しもまた違って、山口さんのひんやりと透き通るようなアコギに、リクオさんの優しい鍵盤の音色が、しっとりとフォーキーに響く。 ちょうど二人の人柄を、晴れた冬の青空に映し出すように。
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| もう一つ意外だったのが、《すたあと長田》という、被災した一人暮らしのお年寄りたちに弁当の宅配を続けている団体を支援するために作られた、コンピレーション・アルバム『風ガハランダ唄』収録の"10 Years After"が、この日初披露だったこと。「少し緊張します」と柄にもなく苦笑いのいっしゃん。 |
| 仮設住宅から復興住宅へ。地震で住む家を失った方々のなかでも、とくに高齢者を優先して入居させたわけだが、プレハブ長家6畳1間の過酷な生活環境ではまだ辛うじて存在していたコミュニティが、散り散りばらばら各所へと転居していった復興住宅では、まるで皆無なのだそうだ。10年経った今でも。お年寄りの「孤独死」にはそんな殺伐とした背景があり、毎日家々へと弁当を宅配するというのは、たんに「食」のサポートだけではなくて、それ以上の大きな意味を果たしていることを理解して欲しい。
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ソウル・フラワーの伊丹英子さんが「2年、3年と経つにつれてまた新しい問題が出てきて」と、そうヒール新潟のステージで決意表明のように語った言葉。そしてこの日ステージから見渡した馴染みの顔一つ一つに、今までの思いが重なったのだそうだ。「西神の仮設で出会った人と目が合って、当時の悲惨な状況とか思い出して、グッとなって…。それで、あぁ見んとこうと思ってこっち見ると、今度は復興住宅で知り合った人と目が合って」
この日のモノノケ・サミットの歌声には、そんな10年分の想いが凝縮されているようで、「イャサ、ホォヤ〜」のかけ声と間の手が長田の冬空にビリビリと熱く震えた瞬間、ただ、いつも以上に涙を流しそうになる。
10年分のイャサ、ホォヤ。
ステージと聴衆を混沌と包んだその濃密さは、ちょっと例えようがない。ただ一つ。みんな同じ想いで、この10年間と、そしてこの先の10年を見つめていたのかもしれない。 |
「震災直後の方が、まだなんとか解決できる問題が多かった。年を経るごとにまた次々に新しい問題が出てきて、そっちの方が解決が難しい」という声は、この10年、建物や道路の復興は目に見えて進んで、一見地震の傷跡は見えないほどだけれど、『地震以前の生活を取り戻す』という本来の意味では、まだまだ先に問題が多々ある現実を吐露しているのだと思う。例えば高齢者を優先して入居させた復興団地では、お年寄りをサポートできる若い世代がいない。
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report by ken and photos by hanasan
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