Cat Power and Women & Children @ Shinsaibashi Club Quattro (1st Jun '04)
侘び寂び
ステージ上でパフォーマンスするアーティストと、それを注視するオーディエンスの関係性について、もしお互いが異性ならそれは、凡そどこか間接的な恋愛感情に似たものなのだろうか。疑似体験、ともまた違う。
「バンドで来るはずだったんだけど、来れなくなって、で一人で来たの」
この日オープニング・アクトだったオーストラリアのWOMEN & CHILDREN、そう言ってアップライトピアノに向かっていたのは、Tシャツにチェックのボンテージスカート姿の女の子だった。その脇にはギターが一本、立てかけられている。ピアノを弾き終わると、マイクの付いたブームスタンドをくるりと正面に向けて、おもむろにギターを弾き語る。
長いブロンドの髪に隠れて表情が見えない。でもなんとなくはにかみながら演奏していることは伝わる。こんな神秘的な東洋の国でたった一人で歌っているものね、そんな吹き出しが見えてきそうだ。とても初々しい。演奏のなかに、いつ彼女の裸の心が表れるのだろう、そんな興味本位の視線をステージに向けて据えるのは、僕自身が幾つか年を重ねたからだろうか…。煙草に火をつける。
静けさや、フロアに沁み入る、ショーン・マーシャルの歌声。
心斎橋クラブクアトロのフロアに、ずらりと三角座りしている観客。ちょっと異質な光景だが、なんでも開演前にスタッフから、アーティストの意向でそうして欲しいと説明があったらしい。一人や友達同士にかかわらず、お洒落で個性的な女の子が多い。そんな観客が、普段よりはずっと低い目線で、ステージを注視している。静かだ。
枯れている。ハスキーで、掠れそうになる音域でさらに伸びやかに浸透していく独特の歌声だけでなく、ボサボサの髪を束ねた後ろ姿や、アップライトピアノからギターに持ち替えるときに、くたびれたTシャツの袖を何度も肩口に捲り上げる仕草や、佇まいが。曲を止め、観客に煙草をねだる。そして別の観客からはライターを。一服し終わると、借りた煙草とライターをそれぞれに投げて返す。自然体を装うコミュニケーションの取り方だけれど、べつにあざとくはなく、微笑ましい。
茶の湯の侘び寂びは、茶をたてるときの、それを相伴するときの決められた動作に機能美を見いだすことではなく、そこに自然のシンプルさを象徴させることにある。茶碗や、調度品一つにしても、いかに自然体に配置させるか、いかに無造作に見せるかが緻密に計算されている。禅のいう『空』や『無』を表す茶室そのものが、変化する自然のなかに佇む一つの小さな宇宙として完成されている。その曖昧さの美意識を捉えらえた言葉なのだろう。
そんな世界を、ピアノとギターと歌声だけで醸し出すショーン・マーシャルという女性の歩んできた人生に、少し興味をかき立てられる。滑らかに掠れて透き通った歌声にあるのは、苦悩というよりはどこか達観の境地かもしれないし、そんなことはただたんに見る側の勝手な妄想なのかもしれない。透明な衣装を着た裸の心。
例えば男女の関係が、そんな侘び寂びの境地に達するまでには、どれだけの年月を重ねるのだろう。
と、自身の曲が流れて、ワイアレスマイクを取るとステージを降りて、PAブースの前のスツールにちょこんと腰掛けて、自分の歌声とハモる。その次に可愛らしい女の子のチャイルズ・ラップが流され、ステージに戻ったショーンがまったくの口パクで振りを踊っている。曲が終わると、手を振りながら暗いステージ袖へと消えていく。それで公演は終了。
まったく。猫の瞳と女心は…。僕はまだまだ達観できそうにない。
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report by ken and photo by ikesan
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