Shinjyuku Loft 5th anniversary feat. CICADA, NIRGILIS, downy and OOIOO @ Shinjuku Loft (27th April '04)
「トーキョー・カオス・ダイナマイト」

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『 CICADA 』
ライブの開始当初、CICADAをCICADAとして全く認識できなかった。過去に数回見たことがあるライブはトランス/ジャム・バンド的なサウンド・スタイルだったり、ハウス/ディスコ/エレクトロな感じだったり、見る度に全く異なるバンド編成/曲構成で、今回だけでなく過去においても一度たりとも一つのバンドとして同一視できたためしがない。その甚だしく欠落している統一感であるとか、過去にやった事の繰り返しを頑なに拒んでいるようにもとれるアティチュードには、最初こそ戸惑いは隠せないが、徐々に思わず笑ってしまうぐらいのスピードをもって、身体と心に馴染みはじめるから不思議だ。今回はなんとトリプル・ドラムとパーカッション×3、ギター×2、ベースという大所帯でのライブ。幾重にも重なる太鼓と機械音のアンサンブルが、軽く眩暈をも起こさせるほど脳内に反響する。ハウス、テクノ、ディスコをはじめとするダンスミュージックの要素は存分に内包しつつもニューウエイヴ、ダブ、ファンク、ロック、パンク、そしてグラインド・コア(!)まで、広範囲にわたる音の要素が其処彼処に点在し、無秩序にスイッチングされまくる。
この雑食感、節操の無さが痛快なほど気持ちいいのだ。太くて、しなやかで、ゆるくって、いなたくて、猥雑で、とことんポップ。ややこしい事を考える隙さえ与えず、こちらの思考の数万歩先で足取り軽やかに跳躍しているかのようなCICADAのサウンドに、こてんぱんに打ちのめされてしまった。
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『 NIRGILIS 』
真っ先にヴォーカリストの声に胸の高鳴りを感じたNIRGILISのライブ。甘くて湿度高めの声に、スコーンと突き抜けるような伸びやかな歌唱。その歌い方はCHARAやYUKIを想起させるが、サウンドとのコンビネーションや醸し出す雰囲気は、これまでに居そうで居なかったタイプかもしれない。無邪気さと妖艶さを兼ね備えた豊かな表情を作り出すそのヴォーカルと、一貫してポップなエレクトリック・サウンドが絡み合い、聴き手のイメージを固定化することなく、ドラマティックな世界を構築していく。歌詞はあまり聞き取れなかったけど、詞の意味よりも響きやリズムを重視しているようで、言葉の「間」の空け方や強弱のつけ方なんかにもハッとさせられる瞬間が幾度もあった。私が最初そうであったように、容姿と声の印象だけで「○○系」とか決め付けていては勿体無い気がする。もちろん可愛は可愛いんだけど、それだけで括り切れるほど甘いバンドじゃないな、と痛切に感じた。メンバーの趣味が反映されているのであろう、その作り込まれたサウンドには、割とコアなテクノ・ファンでも「おおっ」と思わされること必至だ。この日出演したバンドの中で、ある意味一番カオティックだったかもしれない。
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『 downy 』
噂には聞いていたdownyのステージ。映像担当のメンバーがいて、ライブでは常にリアルタイムで音と映像をシンクロさせているとか、若干の予備知識は持っていた。外部からVJに参加してもらうんじゃなく、メンバーとして映像担当が存在するっていうのが、何やら興味深い。演奏が始まっても照明は暗いまんま。ザーザーと抽象的な映像がバックの白幕に流されていく。暗い、味気ないと思ったのは最初だけ。曲が進んでいくうちに、映像がサウンドと共に変化し徐々に心に引っ掻き傷を残していくかのようで、全く目が逸らせない。しかもその傷を被覆せんばかりにまた新たな傷が上付けされていく。ストイックでタイトな演奏。ステージに充満する緊張感。客席を支配する静寂。シンプルであるが故に、一音一音の存在感が強烈に耳にこびりつく。ドラム、ギター、ベース、ヴォーカル、そして映像、そのどれもが突出して粒立った個性を放ちながら、全く実体が掴めない。どんなに掬っても掬っても網目から零れ落ちてしまうようなもどかしさと狂おしさに、ざわざわと全身が毛羽立つようだ。結局最初感じていたヒリヒリ感が、段々じんじんに変わっていって、最終的にはそれが痛みなのか気持ちよさなのか、それともそれ以外のものなのか自分でも全く分からなくなってしまった。二度、三度と見てみたくなったdownyのライブ。ギターの反響音と共にいつまでもその残像が瞼の底に焼きついていた。
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『 OOIOO 』
前半ニューウエイブ系の曲を流していたDJが、downyのステージ後、花電車の「Seasky Rainbow」という曲をかけていて、不覚にもめちゃくちゃ感動してしまった。こんないい曲あったのすっかり忘れてた…。そしてその束の間の興奮醒めやらぬままOOIOOのライブに突入。颯爽とステージに登場した彼女達は、袖や裾がアシンメトリーになっている真っ白な衣装にそれぞれ身を包んでいた。ドレープの入り方がこれまた美しい。楽器を弾いたり叩いたりすることを前提に裁断されたような、メンバーそれぞれの体型や楽器、演奏法にぴったりとフィットしたデザイン。自身のブランドを持っているYOSHIMIの拘りが、必然的に衣装にも反映されてるようだ。ファッションもOOIOOのサウンドを演出するための、舞台装置の一部なのだろう。サウンド面では、YOSHIMI以外のメンバーが固定して随分期間が経っていることもあり安定感が生まれ、以前ライブを見たときに比べて、よりしなやかで強靭なものとなっているように感じた。そのうえ余分な力が全く入ってない。
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抜け切っている。パワーが足りてないっていう意味ではなくて、十二分に放出されてるにも拘わらず、めちゃくちゃ軽いのだ。ライトというよりエアリー。どことなくSLITSっぽさも感じる。キラキラした野蛮。プリミティブでフリーキーでコズミック。歌詞も一応あるようであるが「ウィエー」とか「アゥー」とか、まるで太古の人々か、あるいはどこかの部族の言語を操っているかのよう。それを天や自然に伝えるがごとく、時には叫び、時には囁くように歌に乗せる。
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高らかに鳴らされるトランペットの響きや、リズミカルなパーカッションのリズム、ハッハッという息遣いも、否が応なく想像力を駆き立てていく。柔らかい光や風が演奏とともに、身体を通り抜けていくようだ。OOIOOは古より変わることなく在り続ける天や土や光に感謝を捧げてる。言葉を重ねれば重ねるほど嘘臭く、他者と共有しようとすればするほど(窪○某氏のように)うすら寒くなってしまいがちなこの感謝の念は、音という振動にのせて人々の頭上に降り注ぐ。そこに好かんたらしい言葉が一切介在しないからこそ、信頼できる。演奏を終え、早々とステージを去っていったOOIOO。ちょっと物足りなさはあったけど、腹八分目位の感じがちょうど良いのかもしれない。この余白感も大事な気がする。
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それにしても、新宿ロフト5周年だからこそ成し得たであろう、バラエティに富んだメンツが揃ったこのアニヴァーサリー・イベント。最初から最後までみっちり楽しませて頂いた。
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report by uko and photo by keco
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