t.A.T.u. @ 東京ドーム(2nd Dec '03)
から騒ぎの後で
ただでさえ広い東京ドームが一層広く感じられた。レナの声にリバーブがかかるけど、それはどう考えても、ドームの中で自然に反響しているのだった。これほどまでに盛り上がらないライヴというのがあっただろうか。レディオヘッド、ミッシェルガン・エレファント、メタリカ、アンダーワールドと最近観た数万人単位のライヴでは、バンドとお客さんとの結び付きが強くてお互いにエネルギーを出し合っていたのだけど、空席が目立つとは言え、同じくらい人数が入っているこのライヴで寒々とした声が響くだけだった。
開演予定の18:30少し前にアリーナ席に着いて、座ってしばらくすると客電が落ちた。無反応。そしてDJがプレイしはじめる。おそらくレフトフィールドの"Open Up"の一部を使ってるかなぁという始まりから、4つ打ちのバスドラが延々と鳴る。大きなスクリーンには鉛筆削りの映像やt.A.T.u.のコスプレをした女の子たちの映像などが映し出されている。女の子たちはともかく、東京ドームで鉛筆削りの映像を巨大なスクリーンで見せられるというのは何だか不条理に感じる。40分くらいDJタイムが続いた後、ようやくバックバンドが登場して、少したってジュリアとレナが出てくる。歓声はわずか。そして"All The Things She Said"を歌い始めるけども、盛り上がっているのは、花道の周りだけ。おれの周りは完全に白けていて、拍手するのも、足でリズムを取ることすらおれだけだった。それは結局のところ、彼女らの歌が好きな人を集めることが出来ずに、ワイドショーやスポーツ新聞で話題になっているからというので観に来る野次馬ばかりがやってきたということになる。まあ、そういう自分も冷やかし半分であることは否めないけど、それが例えネットオークションや金券ショップで安く売りに出されているチケットでも、お金払って来ているんだから、その分を楽しまないでどうするんだと思う。もちろん、中には本当にt.A.T.u.のことが好きで熱心に応援していた女の子もいたし、ちゃんと当日券を買って観に来ている高校生のカップルもいた。そういう人たちは、白けた客に囲まれてちょっと気の毒だなぁと思う。
そんな寒々しいステージの2曲目はザ・スミスのカヴァーの"How Soon Is Now?"だった。モリッシー及びジョニー・マーに思い入れを持っている人間には2003年の東京ドームでこの曲を聴くのは感慨深いものがある。いや、むしろ、この曲はこんな惨めな気分で聴くシチュエーションでこそ輝く曲なのだ。何故ならこんなことを歌っている――「ぼくは子孫にして跡取り/その下劣さは犯罪的とも言える羞恥心の」「ぼくは何でも悪い方に持っていってしまう/ぼくは人間/ほかのみんなと同じようにぼくだって愛されたいんだ」「そして帰るときもひとりぼっち/きみは家に帰り/そして泣くんだ/きみは死にたくなる」――まさに目の前で行なわれていることだ。t.A.T.u.はこのライヴにおいてこの曲の魅力を引き出したと言える。おそらく口パクだけど。
まあ、いろんな事情があるんだろうし、アイドルのライヴでは当たり前のことだから口パク自体はどうでもいい。それでも"Stars"の歌い出しのレナの声は非常にきれいで、結構好みの声質だったりする。こんな悲惨な事態を乗り切り、ちゃんと歌うようになればソロでもやっていけそうだ。このライヴは全般的にレナが頑張っていて、MCもほとんどレナがやっていた。英語が出来るという事情もあるのだろうけど。ジュリアはただいるだけでアンドロイドというか、マネキンぽかった。もちろんそっちの方がそそられるという意見もあるが。"Malchik Gay"では制服のコスプレをした客らしき男を花道に上げる。そして"Not Gonna Get Us"では「タトゥー・ガールズ」とかいうタトゥーの格好を真似た大勢の女の子(日本人)たちがステージや花道に登場して踊りまくる。その女の子たちと共にt.A.T.u.の2人は去って行った。アンコールの声も小さくあっさりと終わる。
『200 KM/H IN THE WRONG LANE』を日本盤が出る前に買い、愛聴していた者としては、興味半分の自分のことを棚に上げれば、やっぱり野次馬とか冷やかしでなく、本当に好きな人に囲まれたライヴを観たかった。別にドームでなきゃいけない理由はどこにもないし、大きいところでやるよりも、いいライヴをやる方が今後の彼女たちにとって大切なことじゃないのか、って当たり前過ぎるけど。だけど、この日、東京ドームで観たのは、悲惨な状況の前にとりあえず最後まで踏みとどまった2人の姿だった。それが何であるか答えが出るのはもう少し先になるかも知れない。
report by nob |
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