The Cooper Temple Clause @ 大阪Big Cat (11th Oct '03)
今という時間
忘れていた夏を取り戻すような残暑もようやく終わりをむかえ、秋の気配を感じさせてくれるようになった10月。秋の空気の心地良さとは裏腹にフロアはすでにむムッとしている。この熱気はここにいる全ての人が人間の感じることのできる感覚、視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚を研ぎ澄まし、全身、全神経で受け止める準備のためのものなのだろう。
今日のライブは大切な人を亡くした直後に、共有していた時間を取り戻すために必死に回想しているような感覚に何度となく襲われた。縁起でもないと言われるかもしれないが、私の目の前からいなくなってしまいそうだった。感情を剥き出しにする姿の裏側にはどこか鬱積し消化不良を起こした感情が、内へ内へと籠ってしまているような危機感を感じた。それは同時に「今」という時間を強烈に感じさせるものでもあった。私は「今」を自覚して生きていてるのだろうか。「今」を意識して生きているのだろうか。
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| 私は日記を書いている。それは毎日の義務でもなく、書く時間も場所も決まっていない。思い付いた時に思い付いたことを書く。それはきちんとした文章でもなく(ただの言葉の羅列のことの方が多い)、他人に見せるためのものでもなく、それを振り返って見返すこともそうはない。だが、なぜ書き綴っているのか?日記を書くということはその時々における「今」を検証するための行為ではないかと思う。私の場合においての「今」という時間の検証は日記という形で行われている。それは人によっては写真であったり、詩であったり絵であったり様々だろう。The Cooper Temple ClauseにおいてはThe Cooper Temple Clauseであることであり、このライブという空間が「今」を検証する場であり、これから先にある自分のためではなく今の自分のためにある時間なのだ。 |
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どう考えてみても"Panzer Attack"からこの日の検証が始まることは予想できなかった。もうこの時点で主導権を完璧に握られ、混沌としたしたサウンドの渦に巻き込まれていった。ステージの隅に置かれたマシーンからはトムが極端に顔を近付け、ミリ単位でノイズを産み出す。心音にも似た低音のリズムが悲鳴にも近いギター音と融合し始めると思考能力が低下し、気付いた時には手のひらに爪の痕が残るくらい指先まで力が入り、呆然と立ちつくしていた。ベンはオーディエンスを見るわけでもない空間を見つめながら歌い、手話でもしているかのように手を動かす。本当に壊れそうだった。自分であることへの葛藤ともがきのようなものがひしひしと伝わってきた。 |
だが、そんな切実な一面だけでThe Cooper Temple Clauseというバンドを語り終わるつもりはない。この6人組には澄ました顔の裏側にあるしょうもないことしぃの一面が大好きだ。6人が中指立てて含み笑いをする姿が浮かんで仕方がない。一向に小奇麗になる気配のないアンダーグラウンドさ、訳のわからないバイオグラフィ、「サンタクロースは妖精だから大嫌いなんだ」という不可解な発言、酔った勢いでモヒカンにしてしまう(これはかなり罰ゲーム的だった)…こんな感じでクーパーの胡散臭さは簡単に出来上がってしまうのだ。そんなことを重々知ってか、オーディエンスの方々から思わず笑いがこぼれてくるライブでもあった。
さて、今日の私の「今」の検証…日記はどんな風になるのだろうか…。きっと今日のこのThe Cooper Temple Clauseのライブのことを今、感じている精一杯の言葉で書くのだろうな。
report by kuniko and photo by ikesan |
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