イースタンユース at 渋谷AX(2002年7月15日)
イースタンユースは老舗の料理店である。
今年の夏は特に暑い。言うまでもなくイースタンユースの「夏の日の午後」はそんな夏のBGMである。外に出て歩くと近所の庭からは、いろんな種類の蝉の鳴き声が入り混じって聞こえる。今年の夏の痛いくらいの日差しを浴びていると、この曲が頭に浮かんでくる。
この日のライヴでこの曲が演奏される前、吉野は蝉について「あいつら7年も土ん中いて、出てきたら一週間で死んじまう」というようなことをMCで言っていたが、ほんのわずかな間だけ、地上で成虫として生きる蝉と自分の人生を重ね合わせるこの曲は、いつ聴いても心を掴まれる。
イースタンユースって言葉が届くバンドだよな、と改めて思う。これまで自分はmagのライヴレポートで「イースタンユースは演奏も凄いんだ!」とさんざん書いてきたし、実際、吉野のかき鳴らされるギターをしっかり支える二宮のベースと田森のドラムは変わらずにド迫力であるのだけれど、ふと振り返るとMCも含めて吉野の言葉が残っている。吉野の迷い、悩み、悲しみ、嘆き、ズッコケながらも、それでも進んで行くしかない姿から発せられる言葉に惹かれるのだ。
しかし、ライヴでは言葉と音を分けることも出来ないのは、もちろんである。イースタンユースがそれをひとつの塊にして、お客さん達にぶつけてくる、そのエネルギーをお客さん達も返す、というキャッチボールが成り立ってイースタンユースのライヴの空気が作られているので言葉も大事だし、音も大事だし、お客さんも含めた3つが一体となっている。毎度毎度そのライヴの空気を味わうために会場に足を運ぶ。
それは、いつも旨い料理を出してくれる老舗の料理店のように「いつも同じなんだけど、何か少しずつ違う」という域に達しているのである。例えば、料理店で季節の食材を使ったものを出してくれるように、吉野のMCは寒い季節に「友達がいなくなっていく」とかネガティヴなことを言いがちだけど、毎年、暑くなってくると明るくなり、笑いさえとるようになる。そんな微笑ましくも感じるような、少しずつの変化を楽しみつつ、いつもの味を味わうためにイースタンユースという料理店に引き寄せられていく。
この日は対バン予定のアメリカのカーシヴがメンバーの病気のため急遽取りやめ、イースタンユースの単独ライヴになったのが少々残念であったけど、この夏の始まりにふさわしいライヴであったと、今でも思う。
--set list--
無用ノ助
スローモーション
二足歩行小唄
黒い太陽
風ノ中
男子畢生危機一髪
未ダ未ダヨ
ぶらぶら節
砂塵の彼方へ
夏の日の午後
夜明けの歌
--encore--
何処吹く風
踵鳴る
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