Bjork at 昭和女子大学人見記念講堂(2001年12月2日)
21世紀の発明家か...
「音楽」とはそもそも、出来あがった作品だけを聴いて何かを感じればいい物なのかもしれないが、時々その音が作られた舞台裏までをも想像させられる(してし まう)ことがある。特にBjorkがその内の一人だ。そして答はいつも不思議と謎に満ちている。
最初はBjork本人ただ1人の頭の中にあるアイデアなどを表現するのに どのようにプロデューサなどを人選し、 その人達も含めて、制作に関わるスタッフにどう表現し、どのように具体化していくのか? どこまでのパワーを彼女自身が持っ ていて、他のパワー(テクニカルな部分も含めて)をどのように探して、どう掘り出すのか? いつも彼女を取り巻くあの強力なブレインは、彼女のもっている"不思議なパワー"にひきつけられて集まってくるかのようだ。
Bjorkが発する、人をひきつけるパワー。古くはプロデューサーにHowei-Bやネル・クーパー、トリッキー、808ステイトのグラハム・マッセイなどのブレイン を引き連れて、バックミュージシャンも、タルヴィン・シンや日本のアコーディオン奏者Cobaなどと、1種コラボレーション(化学実験)のようにアルバム製作をしている。だがいつも根底、中心には"Bjork本人"がいる。
ミュージックビデオや作品(プロダクト)パッケージデザインに関しても同様、 スパイク・ジョーンズやミー・カンパニーなどの映像作家、デザイナー達を引き込 んでおきながらも全て完成品は "Bjorkの表現"となる。
そのような、楽曲、制作現場やビジュアルだけでなく、宣伝戦略にまで彼女のパワーがこめられているように思う。アーティストであり、もしかするとかなり戦略的に物事を考えるビジネスマンかのようだ。
Bjorkに対して昔からそのようなことを考えていたのだが、それを特に考えさせられたのが、今回のBjork来日公演初日の人見記念講堂であり、改めて不思議めいたものを考えさせられたライブだった。
今回の狙いは、チケット争奪でも話題になった「Bjorkの知名度(集客力)と比較して小さ過ぎる」と言われたライブ会場の選択からも何かコンセプトめいたもの を感じる。"ツアーパッケージ(順番に演奏される自慢の曲群)を世界主要都市へ持ち回って来て、そこで出来るだけ多くの観客を集め、チケットを売る"といったコンサートの概念を見直し、まるで"環境作り""世界各地で新しい音の実験世 界"を作るという試みをしているようだ。
今回のツアーでBjorkの人選に掛かったのはオープニングアクトもつとめてたマトモス、交響楽団オーケストラ(今回の日本公演では、東京フィルハーモニーオーケストラを起用)ハープ&アコーディオン奏者のジーナ・パーキンス、そして特に今回ステージ上の美を飾ったグリーンランド合唱団。(バックスクリーンに映し出されるビジュアルもショーを作り上げる一員とも言えよう。)
今まで多くの人とのコラボレーションで"1つの楽曲""1枚のアルバム"を作ってきたのと同様、今回も"一つのライブショー"を作り上げる。今までいろんなコンサートを観てきたが、今回ほどステージ全体の人と風景が一つとなって記憶に 残っているという経験はまれにあることではない。
早くも完結的なことを言ってしまうが、今回のツアーでBjorkは何か新しいものを作り上げようとしているのではないだろうか。今までの「音楽」というジャンルをも超えて。今まで何回かBjorkのライブを観てきたが、見事に全て違う。"躍らせる"ことに集中したかのような、Post発表後のライブもあれば、98年のFuji Rockで見せたように、"聴かせる"ライブもある。今回はまるで根本的にある「音」という目に見えない"物"のダイナミックスさを表現することを試みたかのようだ。"音楽""ライブ""コンサート"といった枠に留まらない、何か新しい"表現方法"を観たような気がした。
それはまた"アート"とも違った"何か別の物"...本当の"Alternative"である。エレクトリックというジャンルも無し。機械が出す音も交響楽の出す音もBjorkの中では全て同じ「音」なのである。これは最新アルバムの「ヴェスパタイン」からも分かるように、聞きなれたメロディーラインをあえて外したような「音」の組み合わせ。何かどこか違う世界のメロディーのように。
"何か新しい物"といっても"今まで既存の物を新しい観方で"という事も感じられる。いい例がライブ時のバックスクリーンに映る映像にも言えると思う。最近多くのアーティストのライブ時のビジュアルとしてよく観られるCGを巧みに使った映像ではなく、ただその空間に合った「色」「形」を作り上げているようだった。
この日のライブも2部構成に成っており、観客は完璧に受身体制で聴くことだけに身を任せる前半に、音に合わせて体が動いて来てしまう後半。最後にはもちろん僕達観客もまでもがひきつけられて化学実験にかけられてしまうかのように。
今回のツアーという表現活動自体も一つの作品として始まり、そして終わらされるのだろう。次はまた違う表現方法を作り上げる筈だ。
これからのBjorkの目指すところは、まるで"ミュージシャン"という域を越えて"発明家"にでもなるかのように思われた。今のBjorkは今年のFuji Rockで「21世紀の新しい音楽を創る実験をしている」と言った、Brian Enoと同じ世界にいるのかもしれない。
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report by nishoka and photos by hanasan
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