ライブが始まると同時に、私は顔を伏せつづけなくてはならなかった。凄い数のダイバー達が頭の上を通り越して行くからだ。誰かの足が顔に当たって瞼の上が少し切れた。でも、これくらいで済んだのだから、ラッキーだと思ったほうがいいのだろう。高校生のときに、やはりダイバーの足が顔に当たって、目の中でコンタクトレンズが割れたことがある。 前から二列目という位置取りは失敗だったかもしれない。烈しい曲が始まるたびに、ステージの様子と柵の前にいるセキュリティーの様子とを交互に確認しなければならない。これはライブを楽しむにはあまりいい状況とは言えない。しかし、それと同時に、これでいいのだ、という気持ちも湧いてくる。このライブを後ろに下がってゆったり見るなんて、どう考えてもいい楽しみ方ではない。 「踊りつづけなければならない。」私は直観的にそう思っていた。そして、他の観客たちもそれをわかっているようだった。中盤、テンポの遅い繊細なナンバーが続いたときでも、前へ押し寄せようとする観客たちのパワーは変わらなかったし、私の後ろにいた人はどんな曲のときでも足でリズムを取りつづけていて、セイフティーゾーンに降ろされたダイバー達の目は興奮で濡れていた。 どんなに烈しくロックンロールを燃やしても、決して治ることの無い凍傷のような痛みが残るシャーベッツの歌。それはライブにおいても変わらなかった。いや、むしろライブの場ではより一層激しくロックンロールが燃やされるので、その本質は更にはっきりと浮き出る形になったと思う。 凍傷の痛みが消えることはないが、それに対して何の手当てもせずに、ただひたすらロックンロールを燃やしつづけるシャーベッツ。そして、観客たちは、やはり自分も同じように持つ凍傷の痛みを確認しながらも、それはそれで置いておき、燃え上がるロックンロールの周りを囲んで踊りつづける。そんなライブだった。どの曲が一番盛り上がったとか、どの曲が一番感動したとか、どの曲が退屈だったとか、あまりそういうことは考えられない。いい意味で、どの曲もみんな同じに聞こえた。どの曲もみんな同じところから生まれているような気がした。 『ママ、ロックンロールって何?』とベンジーは歌った。しかし、既に答えは目の前にあった。 report by dak.
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