暗い。 会場はFAD Yokohamaという華やかな中華街からほんの少し離れたビルの一階にある小さなライブハウス。そこに着いたのが6時30分。ちょうど開場時間で、いつものように整理番号順に人が並んでいる。だけどそこに街灯の光はあたっていないので、突然暗闇に現れる群集は異様にすら感じてしまう。 9月11日以降、やっぱり何をするにも気分が冴えない。どんなに楽しいことが待っていても、何で自分はこんなところで笑っていられるんだ? と思ってしまう。 ここは400人も入ってしまえば満杯になってしまうこの小さな会場。入場列の一番最後に並んで中に入る。 なんか暗い。 開演時間になり、照明が消えてしまうと、観客を照らす光は一つもなく、不気味な黒い頭達が同じステージの方向を向かって立っている。普段は何の不思議もない光景が今日は異様に見えてしまう。 メンバーが登場。一曲目は最新作『感受性応答セヨ』から「夜明けの歌」。夜明けの歌なのに開演ギリギリに入って後ろの方から見てるんだからステージなんか見えやしない。続いて個人的にこの日、一番楽しみだった「踵鳴る」というアップテンポでエモーショナルな曲。でもいくら好きな曲が始まってもなんかパッとしない。ボーカルの吉野が一言何かを口にするたびに、客の間から笑い声が聞こえる。何がおかしいんだ? 何一つ笑えるようなことを言っていないのに、どうしてそんな事で笑っていられるんだろう。 9月11日から2週間が経つ。多分バンドの3人も同じような気持ちになったんじゃないかな。「何でこんな時にツアーなんてしなきゃならないんだ?」って。 4曲目の「スローモーション」が終わり、吉野がまた口を開く。「自分が何を考えるのか考えてみよう。」さっきまで何を言うにも笑いが起こっていた会場が突然静まり返った。全員がこの一言で吉野が何を指して言っているのかがわかったんだろう。「自分がこういう時に何ができるのか。こういう事が起こらない限り、人はのほほんと生活をし、そして死んでいく。でも俺はわかっていたよ。人生危機一髪。」そして始まった曲は「男子畢竟危機一髪」。 自分がこういう時に何ができるのか? わからない。ではこのバンドはこんな時にこんな所でライブをして何の意味があるんだろう。そう自分に問いかけた時、音楽という形のないものが自分をどれだけ助けてくれたのかを思い出した。何か自分や周りに辛い事や悲しい事があった時、もちろん友達や家族はいるけど、常に頼っているわけにはいかないし、逆に頼りたくなくなることが多い。でも部屋で一人になり、ラジカセのPlayを押すだけで自分の好きな音楽が流れてくる。そうやって好きな音楽にどれだけ慰められ、元気づけられたんだろう。 吉野は続ける。「自分がこういう時に何ができるのかと考えたとき、私はまずご飯をいつもより一膳多く食べた。」 ふと他の観客の顔を見ると、誰もがやさしく、中には泣き出しそうな顔でみんなこの吉野の話を真剣に聞いている。そうだ。あんなに衝撃的な事件があって何も考えない人間なんているわけがない。みんなそれぞれいろいろなことを考え、悩み、そして中には僕みたいに自分と葛藤しているんだろうな。 自分に何ができるのか。このボーカルがご飯をいつもより一膳多く食べたように、まずは自分でどんなことでもいいから心がけることからはじめてみよう。日本でもすでに署名活動やピースウォーク、アメリカ大使館前での今回の犠牲者に対する追悼式などが行われている。まずは自分の身の回りでできることから、どんなに微力にしかならないことでもいいからはじめてみよう。 この日のコンサートの終盤に演奏された「素晴らしい世界」「夏の日の午後」「青すぎる空」の3曲、歌詞が何を歌っているのかはわからないけど、メロディーはどれも聞いている人に希望を持たせ、力がみなぎってくるような曲。 イースタンユースが長年歌いつづけている音楽には歌詞がどうこう以前に心に強く伝わってくるものがある。彼らが100%日本語の歌詞でもアメリカで着実に名前を知られていくようになったのも、この彼らが演奏するメロディーと吉野の何か訴えるように叫ぶボーカルにあるんだろうな。例え言葉がわからなくたって、例え自分が本当に小さな力にしかなれないってわかっていても、行動しないことには始まらない。ちりも積もらなくては山とはならないんだよな --- setlist ---
1. 夜明けの歌 --- encore ---
1. 夏の日の午後 Reported by Yohei Nogami. 無断転載を禁じます。The copyright of the text belongs to Yohei Nogami. They may not be reproduced in any form whatsoever. To The Top. |