THE RYDERS @ 渋谷ON AIR WEST(2001年5月9日)
RYDERS MANIA WILL LET IT HAPPEN
---SETLIST---
Let's Get Together
Horizon
I Wanna Be On My Own
In The City
精神錯乱
I Won't Let It Happen
電撃BOP
Animal Street
Kick The Past
Bring Out My Self
Burst Rocket
God Save The Queen
夢の島
38Boys
Victims
I've Got The Energy
極楽トンボ
雑草
Easy Come Easy Go
From Junk Street
---(アンコール)---
It's My Time
So Passion
Let's Get Together
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偉大なる男
JOEY RAMONE
逝去されました
この場を借りて
心より冥福を祈り
Joeyの偉業に対し
愛をこめて感謝いたします
THE RYDERS OHNO
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この言葉は先日Joey Ramoneが亡くなったというニュースの数日後の4月19日にRYDERSのホームページで掲載されたものだ。
4月16日、僕がこのニュースを聞いた時は、大きなショックを受けた。 いろんなホームページを検索して、本当にJoeyが亡くなったのかを必死に調べた。
本当だった。その時、私が次に気になったのが、「あの男はこのニュースを既に知っているのか?」ということ。 そう、日本のJoey's Son‐RYDERSのJ.OHNOの事が真っ先に気になった。RYDERSのホームページにアクセスをした。 なにもコメントが見つからない。 まさか、まだこのニュースを知らないのか? そう思ったまま数日後、とうとうOHNOからのコメントが出された。このコメントを出すまでの数日間、彼は何を考えてどう過していたんだろうか…
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2001/04/19
偉大なる男 JOEY RAMONE が逝ってしまった
4月16日午後1時過ぎ 俺の自宅に1本の電話があった
"Joey が死んじゃった"
え? としか俺は言えなかったと思う
20分位だろうか 言葉にならない会話が続いていたような気がする
これからもひょうひょうとして生き続けてくれるものだと思っていた
残念です
今はこれぐらいしか言えません
冥福をお祈り致します
OHNO
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「今はこれぐらいしか言えません…」
この文章を読んだ僕にも、いやにリアルな悲しみが襲った。
あぁ… 本当にJOEYは死んだんだ…
そして、OHNOは本当に悲しみの中にいるんだ。 あのOHNOが言葉を発することはできないなんて。 そんな気持ちがヒシヒシと伝わった。
その日からは毎日のようにOHNOからJOEYに対しての想いがHPにアップされはじめた。
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2001/04/20
JOEY RAMONE はニュージャージーの ヒルサイドセメタリーに埋葬されたそうです。 ホームページにJOEYのことを載せるまで 自分なりに時間が必要だった。 俺は本当にただのいちファンに過ぎないし ニュース屋でもない日本の各地やNYから連絡が来たが 何を話せばいいのだう?人と話して どーのこーのという気は俺にはない。
今 俺は一人で JOEY や RAMONES のことを 思いめぐらしている。 いつか落ち着いたときに この場で触れていきたいと思っている。 ただ俺は本当に いちファンでしかないので たいした事は書けないが
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2001/04/21
この何日か 何をするわけでもなく自宅に居たんだけど、半年以上も レコーディング ライブ 取材その他もろもろで個人的な時間なんてなかったがJOEY RAMONE のことで 自分の時間が出来たような気がする
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その一ヶ月後の5月19日に渋谷On Air WestにてRYDERSのライブが予定されている。以前から予定されていた日程だったのだが、偶然にもこの日はJOEYの誕生日にあたる日であった。 NYではJoeyを惜しむ旧友達が集まって追悼ライブがあったらしいが、ここ日本ではRYDERSライブ。 なんという偶然な出来事だろう。 OHNOは「追悼だと言ってジミジミしたものにはしない。 誕生日だから派手に祝う」と事前にホームページでも告げていた。
今年RYDERSを観るのは今回で2回目であった。
1月に行われたKEMURIとの共演以来である。 その時のRYDERSにはかなりの個人的思い入れがあった。 RYDERS…、あの音を聴いたのは何年振りであっただろうか。 そもそも初めてRYDERSを知ったのはもう12〜3年前になるだろうか。 88年発表の『GET GOOD LOVING』を大阪にあるレコードストアーのRAMONESコーナーに見つけた時だった。(何という気の利いたコーナー分け。 そこには「日本のRAMONES! だからRAMONESコーナーに置くんじゃ!」とかいう紹介文が貼られていた。 アメ村のキングコングって店だったと思うが… 今でもあるかな?)
その後にはTOYS FACTORYレーベルからその頃のバンドブームにのっかったJun Sky Walker(s)と筋肉少女帯と一緒にRYDERSという、なんとも奇妙な組み合わせで同時メジャーデビューを果した。 3バンドの中でRYDERSだけが浮いていたのは言うまでもない。
そんなバンドブームの時期は、アイドル雑誌と邦楽雑誌とが区別できなくなるような雑誌が多数現れた。その頃の「宝島」の中にも《Musician Fashion Check》などというコーナーが出来るほど。 そのコーナーのアイドル顔したMusicianが並ぶ中、J.OHNOが出ていたのを今でも覚えている。 OHNOは革パンツにBlack T-shirtsという黒づくめに長髪。 Best AlbumにはIGGY POPのRAW POWERを挙げたりとそのページだけ違う雑誌のようにも見えた。
その頃からパンクバンドは沢山あったが、OHNOの風貌はイギリスというよりは、もろNYパンクな雰囲気を醸し出していたのがなんともその頃から「我が道を行く」っといったスタンスでまだ若かった僕をワクワクさせたのを、いまでもよく覚えている。 特に今ではTatoo人口も多くなったがその頃にはまだ(少なくとも高校生だった僕にとっては)「ヤバイ、 悪の中の悪」というイメージがあったTatooだが、J.OHNOの腕にある鷹のTatooと一言コメント「ガキの頃から、バンド始めたら彫ろうと思っていた…」という言葉には憧れさえ持ったほどだった。 (で、実際 僕はバンドではないがカメラマンとして始めて稼いだギャラでTatooを入れた。 それもRaw PowerのCDに付いているバーコードのTatooを。 彫ってる最中J.OHNOの記事を思い出していた。)
個人的な話に外れてしまったが、RYDERSに話を戻し、そんな時期から13年。 その間はSham69やGBHなどとも共演をあったと噂を聞いた。 またJapan Punk Rock FestivalをStar ClubやCobraと共に開催していたとのことだが、なにせライブ時のあの暴動寸前の大騒ぎの為、長い間いくつかのライブハウスからは閉め出しをくらっていた時期もあっただとか。
そんな思い入れをもちながら観た1月のライブは驚きだった。 昔と変わらないOHNOがステージを飛び跳ねている。 昔はIGGYばりのアクションだと思っていたステージアクションも今ではオリジナルなOHNOアクションにも見えるほどだった。
あの日もっとも印象的だったのはRYDERSの演奏中ステージ横からKEMURIのメンバー達が半興奮気味にRYDERSの演奏を見ていた事。 メインアクトであるKEMURIを圧倒するほどの迫力。 素晴らしいショーだった。 KEMURIもかなりのリスペクトをRYDERSに贈っており最近のバンド達にとってRYDERSが今では《MUSICIAN OF MUSICIAN》ならず《PUNKS OF PUNKS》なんだと感じたほどであった。 それは昨今POTSHOTがアルバムでRYDERSの"SO PASSION"をコピーしていたことからも感じれることであった。
この日のライブはそもそもRYDERS 5年ぶりのフルアルバルでありRYDERSの過去発表の曲群をセルフカバーというかたちでのベストアルバム“Ryders Army”発売記念ライブであった。
この日はFront Act として、RYDERSを愛する3バンド -54 NUDE HONEYS- -NOT REBOUND- -COOL KING McQEEN- と、パンクDJのTIGER HOLE イシケンとHAYATOがRYDERS登場までを盛上げる。
会場いっぱいに集まるパンクス達の姿も久しぶりに見る《本物のパンクス》が大勢集まり会場全体が気合いの入った風景になっていた。
さあ、RYDERSの登場だ。
オープニングSEにはいつもの"Friggin' In The Riggin"'が大音量で流れる。 この時点でオーディエンスは大声で大合唱が起り、それだけでなくステージに上がり出す者、ダイブの嵐が発生。
そもそもこの曲はRYDERSのPUNK史の中での立場を象徴しているように思える。"Friggin' In The Riggin'"... タイトルだけでは思い出せない人達もいるかもしれないが、この曲はSEX PISTOLSの賛否両論な映画『The Great Rock'n Roll Swindle』の最後のシーンでアニメ化されたPISTOLSのメンバーが海賊船と共に海に沈んでいき、その後にはSid Vicious死亡の新聞記事が現れるといったシーンでStieveがボーカルを取っているイギリスのトラッドソングである。RYDERSはいつもこの曲で登場する。PISTOLSが終わった時からRYDERSが始動するのである。なんとも意味ありげな(勝手な考え込みすぎか?)選曲であろうか。(これはライブ中に"Anarchy in UK"をカバーする前にギターのBellyが叫んだ「俺達はとっくにPISTOLSなんて超えてるぜ!」というMCにも結び付けられることであると思う。)
そんな曲"Friggin' In The Riggin'"の大合唱の中、メンバーが登場。 遅れてOHNOもステージに。 いつものように「行くぞ、クソガキ共!」という煽りから1曲目L"et's get together"で戦闘開始。 ステージが凄い事になる。 いったい何人のオーディエンスがステージ上に昇ってしまっているだろうか。"Friggin' In The Riggin'"
この時点で、実は少し心配していた、OHNOのJoeyに関する精神的落ち込みはまったくと言ってない。 RYDERSなんだ、OHNOなんだ、当然のことである。 間髪入れずに"Horizon"、"I wanna be on my own"に突入。 強烈な迫力で4〜5曲と進んでいく。 客も疲れを知らないとばかりに大騒ぎである。
やはりライダースはライブが似合う。 派手なライティングもステージセットも必要としないロックンロール。 ステージ上にあるのは4人の男と彼等の体の一部になっているかのような楽器があるのみ。
OHNOの叫ぶ歌詞も、最近流行のいただけない“日本語遊び”な言葉の羅列をリズムのせているだけのバンドではない。
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鼓動を感じろ 夢見てたガキのようなこの鼓動を
この空の果てに どんな事が待っていようが構やしねえ
誰もが失っていく ときめいたあの頃の自分を
うごめく現実の中 野垂れ死にはしねえ I gotta go “HORIZON”より
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決して懐古には思わせない、社会に対して物申すわけでもなく、まずは自分自身を変える。 何にも惑わされず、マイペースで我が道を行くといったスタンスは変わらない。
そんな中、驚く1曲が始まった。
それはRAMONESの曲であるだが… RYDERSを知っている人ならRYDERSがカバーするRAMONESナンバーは当然 "電撃BOP"だと思うだろう。 違うのだ。MONDO BIZARRO というアルバムに入っている"I WON'T LET IT HAPPEN"であった。 それまでの畳み込むようなスピードの曲のイメージを押えたジックリと聞かせるスローな曲をOHNOは何も言わず歌い出した。 今まで大暴れしていたオーディエンスもシンと静まりかえりOHNOの声を聴き込む。 そう言えば、RYDERS HPでのOHNOのコメントの中にこういうことも話されていた。
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4日たった今やっと RAMONES が聴けた
I WON'T LET IT HAPPEN
これだけを 延々と聴いている
OHNO
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RAMONES の I WON'T LET IT HAPPEN は曲もすばらしいが JOEY の声のすみずみから息づかいまでが伝わってくるようだからかもしれない
OHNO
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その曲をRYDERSが突然…、それもJOEYに関しての何もMCを話さないまま…。 それだけでも驚きだが、それと同じくOHNOの声にも驚きを感じた。 目を閉じて聴くとJOEYが歌っているのかと思うほどの声。 こんなOHNOの声を今まで聴いたことはない。 最後まで歌い上げたOHNOはずっと目を閉じていたように見えた。
しかし、その後がやはりRYDERS。 さすがのRYDERSである。"I WON'T LET IT HAPPEN" が終わり数秒はシンと静まり返った会場にいつもの掛け声"Hey Ho Let's Go!"
まるでOHNOが「悲しんでいる場合じゃねえぞ!こらぁ!」と叫んでいるように "電撃BOP"が大音量で始まる。OHNOはいつものようにオーディエンスにマイクを差し出し《Hey Ho Let's Go!》コールを煽る。 いつものRYDERSだ。
この日のライブは全曲素晴らしいと言っても過言ではないが、この2曲"I WON'T LET IT HAPPEN" から"電撃BOP"へとなる展開は鳥肌が起きたほどであった。
その後はRYDERSの名曲"Animal Street"や OHNOが叫ぶように《たった一度の行きざまだけを 立った一度の今に掲げて 立ち塞がる壁を蹴飛ばし飛び越えてやるぜ》と熱唱する"I've Got the Energy"などを畳み込み、アンコールにもう一度"Let's Get Together"を含めて、いつものRYDERS POWERを全開にしライブ終了となる。
しかし何と言っても、今日聴くことができたRAMONESカバーの2曲で会場にいた多くのRAMONES MANIA、RYDERS MANIA達の気持ちを吹っ切ってくれたことは確かであった。 それはOHNOを含めてRYDERSのメンバー達にも同じ事であっただろう。 JOEYに関するMCもないまま、この2曲をやりとげた事、この行動だけでOHNO自身だけでなく会場にいた多くのオーディエンスの気持ちを表現してくれた。
天国にいるJOEYへ捧がれたことと願いたい。
※RYDERSはこの後、なんと韓国ライブを決行しており、その後はRYDERS ARMYツアー第2弾として、今度は西日本を駆け巡る。場所は岐阜、神戸、岡山、高知、松山、広島、そして8月には東京 下北沢Shelterにもどってくる。
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