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ぼくが会場のBIG CATに着いたのは、ちょうど開演時間の15分くらい前だが、そこで印象的な光景を目にした。"チケットゆずってください"と殴り書きしたダンボールを頭の上に掲げて、半ば諦めの視線をどこに投げかけるでもなく、ジッと固まったまま立ち尽くす男の子。ぼくはスロウモーションで彼の姿を捉え、ちょっとした罪悪感に苛まれながら、『関係者入り口』と記された扉に向かう。関係者? ぼくが? いや、違う。でも、もし、その資格があるというんなら、今夜、この場所で起こる出来事を、自分なりに理解して伝えるためだと思う。 会場にはリラックスした雰囲気が漂っている。"blur are shit!"Tシャツのように、常に攻撃的な側面を取り沙汰されるバンドのオーディエンスにしては、意外なほど和やかで、女の子の数もかなり多いのは、肉体よりもまずインテリジェンスを刺激するバンド、なんだろう。でもそれは、ライヴの始まる前のことで‥‥。 暗転し、歓声(暖かな)が上がり、鳴り響いたのはブラック・サバス‥‥。今でも嵌まる泣きのメロディと、ちょっと古めかしいギター・ソロのブレイクは、リスペクトなんか皮肉なんか‥‥。フルコーラス聴いた後で、ステージ下手からボトルを握った右手を突き上げながら、スチュアート以下のメンバーが颯爽と登場し、たった一言「Good Evening」と挨拶のあと、1曲目"Mogwai Fear Satan"‥‥。 『Young Team』(そして『Come On Die Young』)の、闇夜のアスファルトにコールタールで殴り描いた景色が、街灯にボンヤリと照らされているようなモノクロームの音像に、新作『Rock Action』で得た薄暮の色彩が加わり、いっそう音色豊かに構成された演奏は、もはや悪魔をも恐れない祝福の曲のよう。フロアのみんなの表情に笑みがあふれ、音の連なりに身を委ね、曲の高まりとともに誰彼となく歓声をあげる。そう、のっけから違う世界に連れていってくれた。期待どおりの場所。ぼくらが誇れるもの、無心に信じれるものの、まだある場所だ。 張り詰めたギリギリの緊張感。事前に伝え聞いていた、そんな先入観めいた印象なんて、この日のステージには皆無だったと思う。攻撃的というより、包容力にあふれたサウンドを余裕を持って演奏している。余裕は、いつも90点以上出せる、という、少しスリルに欠けた安定志向の演奏にもなるだろうし、事実、3曲目、4曲目と進むに従って、ぼくはちょっと物足りなさを感じていたりもした。それが、ちょうど新作からの"You Don't Know Jesus"が終わって、"ex-Cowboy"だろうか?(ノブユキ氏のレポートにある東京でのセット・リストとは、若干違うような気がするけど、確認してないのでわかりません。同じかも) ノイズのオーケストレーションから、フッと、スチュアートが奏でる静かなギターのリフになり、そこに「タッ、タッ、タッ」とスネアを刻む音だけが響いたとき、ぼくは、あぁ、そうやった、と納得し、同時にやられた気もした。 弦をピンッと張り詰めるには、一度緩めてやる必要がある、とでも言わんばかり。交響曲と同じように"流れ"があるんや。そして曲はまた緩やかに盛り上がっていき、フロアとはあうんの呼吸で、ギターのメロウでノイジーな轟音がここぞというタイミングで掻き鳴らされ、煽動し、ぼくらは歓声をあげ、轟音が歓声と共鳴して、歓声がサンプリングされたようにいつまでも鳴り止まないような錯覚に陥る。ふとまわりを見ると、それぞれ下を向いたり、天を仰いだり、ポカンと口を半開きにしながらも、みんな目を閉じている。それでぼくも真似てみると、圧倒的な音像のなかに浸れて、瞼の上からダイレクトにステージのフラッシュライトが浸透し、サイケデリックなヴィジョンを垣間見ることができる。ステージ上のメンバーは、なにかシュールな現代劇を演じているように、各々の空間で孤立しながら、連帯している。 曲が終わり、少し現実に戻って、スチュアートが決まって一言「Thank You」と言い、バリーが後ろのキーボード・セットに移動して、聞こえてきたのは"Cody"のイントロダクション。ワウのかかったオルガンの音色。消え入りそうなスチュアートの歌声に耳を傾ける。皮肉でネガティヴな歌詞なんやけど‥‥。それ以降はなにひとつ疑わなかった。ふたたび歓声の幻聴を聴いた"X'mas Steps"、アルバムよりも数段印象的だった"Secret Pint"、そして本編ラストの新しいアンセム(にしなければならないと思う)"2 Rights Make 1 Wrong"と。そして、たぶん20分以上続いていたアンコール。すべて終了して、いったん引っ込んだメンバーが出て来て、ピックやらスティックやら、いったい何本あんねん!?ってくらいフロアに投げ入れてた(この日がニホン・ツアーの最終日やったから、大盤振る舞いか?)。 サッカーのスタジアムにいたような感じだった。日常から離れ、ひとつのことに熱中し、無心に見入り、"流れ"があり、一喜一憂し、みんながただひとつの瞬間のためにその場にいる。いつかは超満員のスタジアムでmogwaiを見てみたいと思った。彼らなら、それでも負けないくらいのスケールの演奏を見せてくれるだろうし。それに、この夜、この場所にいれた人を「幸運」だとか、入れなかった人を「運がない」とかで片付けてしまっても、いけないという気がする。持続する事件にしなければ。音楽の可能性なんて、まだ信じてたんやろうか? ぼく自身、疑問に思うことがある。ないことはないが、非常に限定されたものとして。でも、この日、ロックの"先"に見えたものを、共有できる場を広げることで変化は起きるかもしれない。まだぼくらに誇れるものがある、無心に信じれるものがある、なんて言うか、ひとりの人間の姿勢として。 だから会場に入れなかったところで、線引きをしてしまう必要はないし、もしぼくの稚拙な文章でなにかが伝わるのなら、幸いです。 Reported by 児玉憲太郎.
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