Music Journey of Morgan Fisher for a minute...
-- part2 --
|
そうして日本で生活しているうちに徐々に音楽が彼に方にやってきたというのだ。
「アンダーグランド・シーンのミュージシャンたちがライヴしないかって誘うようになってきて... なんでも『ミニチュア』のアルバムがここでも発表されていたみたいで、それを聴いた連中がアプローチしてきたんだ。だから、小さなクラブで演奏を初めてね。ステージにキーボードを持っていって... なんにも準備しないで、完全なインプロヴァイゼイションで演奏をしていたんだ。でっかいバンドと演奏するのとは大違いで、とってもリラックスできるし、クリエイティヴでね」
が、モット・ザ・フープルといえば、一世を風靡したビッグなバンドだ。デヴィッド・ボウイが曲を作ったり、数々の大ヒットも記録している。そういった成功を簡単に捨て去ることができたんだろうか? ということで、その時代のことに話が流れていった。
「まずは、シンガーのイアン・ハンターが離れてしまったことが大きかったね。あれは75年だったと思うけど。で、新しいシンガーを入れたんだけど、それほどうまくはいかなくて... 下り坂を転がり始めたって感じさ。結局、バンドの名前をブリティッシュ・ライオンに変えてやったんだけど、レコード会社が2枚目のアルバムを発表するのを拒否してね。それで、もうバンドはいいやって思ったんだ。10年間ずっと続けてきたわけだし... レコード会社に嫌われて... しかも、ちょうど生まれ始めたパンクの方が自分のバンドよりずっと魅力的だったしね。(笑)ちっぽけなクラブで有名なバンドをいっぱい見たよ。自分がそうなるには、年を取りすぎていたけど、あのエネルギーに触発されたってのかね。ちょうどホーム・スタジオが、それほど金をかけなくても作れるような時代になってきて、そこでアルバムを作り始めたんだ。ほとんど金をかけないで。その頃に友達がチェリー・レッド・レコードってインディ・レーベルを始めてね。彼が好きなものを出していいっていうから、『最高じゃん』ってことになったんだよ。だから、それから数年間は誰を頼りにすることもなく、ミュージシャンとしてなんの問題もなく生活していけたんだ。マネージャーもレコード会社との契約も拘束もなく... まぁ、特にはセッションもしていたけどね。いずれにせよ、「奇妙な音楽」を演奏しながら、同時に、それを楽しみながら生きていけたわけさ」
|
interview and photo by hanasan
|
|
|