THE SURF COASTERS (中シゲヲ)
年末年始特別企画WAITIN' 4 SURF-part4- サーフコースターズと呼ばれた男
- part1 -
----結成からデビューまでの1年の間っていうのは、横浜とかで活動していたんですか?
「そう、関内の24とか、7th avenueとか。あと、横須賀のかぼちゃ屋。」
----音楽性って今と全然違ったんですか?
「ううん、全然一緒(笑)…その…、エレキインスト…、そういうのをやろうとして、たまたま組んだだけだったんで。「えびす温泉」に出たのは…クラブチッタだったかな? 夜中にイベントがあって出てね。その時DJの人がたまたま「えびす温泉」の制作やってて。で、夜中べろんべろんに酔っぱらった状態で名刺出されて「出ない?」って言うから…じゃあ、青春の記念にって(笑)」
----じゃあ、あの当時でこっからメジャーになってやるぜ的なカンジってのは。
「ほんっとに考えてなかった。なれるわけがないと思ってた、こんな音楽やってて。テレビ出たらそれで解散しようくらいの勢いだったから(笑)…一応、二週は勝って、三週目に負けたのね。で、楽屋に戻ったら「CD出すから」って。えっ、五週勝ち抜きとかしてないですよ? って(笑)…まあ、出してくれるってゆうんだったらって」
----一枚目からって結構…それから立て続けにリリースしましたよね。
「うん、あれ出させられたの。それなのに、うちら全然やる気なくて(笑)」
----もともとプロ指向ではなかった、っていうのもあったんですか。その後メンバー変わっていったってのも。
「…プロ指向…アマチュアの時はもちろんみんなプロなりたいとか思ってたけど、いざなったら、なんでこのバンドやねんってのが全員の思いだった、趣味だったし(笑)あの…その、プロ指向だったのって、佐藤さん(初代リーダー/初期ベース)だったのね。あの人だけは凄く一生懸命やってたんだけど、意見が対立…どんどんしてっちゃって。…結局、佐藤さんがやめたら、今度オレがリーダーなっちゃって…やだなあ…って。社長にはなりたいんだけどなれないタイプ?(笑)」
----アオレンジャーくらいが心地いい、みたいな
「そうそうそう、アオレンジャー。ホントにオレ、アオレンジャー昔からスキだったからね。二番手、三番手あたりでどうやって目立ってやろうかな、ってのがスキだったの。」
----最初に契約したビクターで最後に出たのが『Soundtrack from "RUNABOUT"』ですね。あの時はサーフコースターズ=中シゲヲ一名で?
「うん。それを録った直後に…ふふふ(思い出し笑)俺やめますって言いに行ったの、事務所に(笑)だって、俺一人しかいないから「サーフです」ってやっててもしょうがないから。要するにその…んー…そん時って、サーフの名前でライヴをやることはマズイんで、俺一人の名前ならいいっていう。で、まあちゃん(酒井昌史。後のサイドギター担当/現・スプロケット)とみやけ(後のドラム担当・ちなみに超絶パワープレイヤー)と栗ちゃん(現ベース)に、自分のイベントやる時手伝ってもらったの。…そん時、事務所の人が、もうそのメンバーでサーフ名乗っちゃえばって。それで彼らは正式メンバーになった。」
----ファンハウスでメンバー一新、再スタートの時ですね。そして『SURFDELIC』と同時に、酒井さんと歌モノユニットeaseを結成され。
「うん…その後、犬のアルバム(『THE SURF COASTERS』ジャケットに犬の絵が描いてある)が出て…、でも、結局ファンハウス離れる事になったのね。そん時にたまたまインディーズレーベル(WEST GHOST)でやんない? って言うからいいよって。…で、直後にまあちゃん辞めて。…そう…それで、『SURF is Dead』…録った後に今度はみやけが家の事情で辞めるって話なったの。…で、その頃にはもう、次のレコーディング日程とかほとんど決まってて、じゃあどうしようかって。…それでー…ナオタカ(現・ドラム)をENDS(サポートメンバーとして中シゲヲ加入)の関係で紹介されてて、…そん時は…どうなのかなあ…って。やれないこたないと思うんだけど。なんせみやけの後釜だから、普通のドラマーじゃ埋まんないのよ。俺と栗ちゃんの気持ち的に。それでどうしようって…キーボードの清美ちゃん(『EASTER!!』と『L'esprit』時のメンバー)は、その前から決まってて。…で、『EASTER!!』のレコーディングは、ナオタカに…とりあえずお願いしようかって栗ちゃんと二人で相談して。サポートみたいな感じで。で、レコーディングが終わって…からかな? ヤツがメンバーになりたいって…言ってくれたのね。それで正式メンバーなった。」
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interview by yuka and photo by naoaki
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