中川敬 (Soul Flower Union)
続 : 極東戦線異状あり- intro -
まだ2004年も明けて間もない1月17日の未明、神戸市長田区菅原の区画整理で新たに設けられた公園を仕事で訪れていた。その公園の一角には瀟酒な慰霊碑があって、町の人々が手向けた無数の花束と蝋燭の灯りに、線香の煙と吐く息の白さが混ざるなか、午前5時46分に向けて厳かに読経が続けられていた。その瞬間、慰霊碑の傍らの鐘が鳴らされ、127人の霊魂の名前が順に、静かに読み上げられた。一人のお爺さんが、冷たい公園の土に小さな赤い絨毯を敷いて、その上に伏し、辺りが明るくなるまでずっと頭を垂れていた。赤い絨毯の上には小学生の可愛らしい女の子の写真と、ぬいぐるみやお菓子、そしていっぱいの花が飾られていた。
写真のなかの時間は9年間、止まったままだ
9年前、神戸市郊外にある大学の学生だった僕は、地震の翌々日、三宮に住む親戚のもとへと、父親と2人で大阪から国道2号線で行ける所まで車を走らせた。その沿道で見た、ひしゃげて屋根だけが残った家の数々。三宮に入って、馴染み深い生田新道や東門通りを歩いてまわり、ビルが幾つも道路に横倒しになった光景はまるで映画のセットのようだった。キャンパス近郊に下宿していた友人たち全員と無事連絡が取れるまでに1週間以上かかった。大学の体育館が救援物資の仕分け基地になり、グラウンドの半分にはプレハブの仮説住宅が建てられた。幸い僕の友人や知人は皆無事だったが、彼らの近しい人が亡くなったという話はちらほらと聞いた。今でもソウル・フラワー・ユニオンの『満月の夕』を聴いて、胸がグッと詰まる思いになるのは、僕の場合ほんの端くれではあるが、そんな原体験を共にしているからなのだと思う。
先頃の新潟中越地震。亡くなられた方に、まずご冥福をお祈りしたい。心より。公式な名称が『震災』ではなく『地震』とされたとおり、その数は阪神大震災と比べると桁違いに少ないのだが、避難を余儀なくされた方は10万人と匹敵する。そして今なお大きな余震に襲われるという状況とその不安は、心中察して余りある。いつ地震以前の生活に戻ることができて、そしてその生活が軌道に乗るものなのかどうか、そんな焦燥感は、本当に出口の見えない闇のようなものだろう。この地震で家を失った方など、とくにそうだと思う。食料やテント、生活用品といった救援物資、義援金はもちろん、なによりも必要なのは行政の裾の広いプランとサポートと、草の根からの励ましの声なのだと思う。ちょうどこのインタヴューで語ってくれた『満月の夕』のエピソードのように。ソウル・フラワー・モノノケ・サミットはやはりこの新潟中越地震でもアクションを起こしたと聞く。
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そしてもう一つ、ここで書いておきたいのは、国内が優太ちゃん救出で一色になっていたさなか、バグダッドで拉致され断首された日本人青年の事件と、大統領選挙直前は論争を避けるために狡猾に控えられていたものの、ブッシュ再選を待って実行されているファルージャへの総攻撃のこと。
村的な精神構造をもつこの国は、ゆえに村人の多様性を認めない。4月の時点でまるで流行語のように飛び交った『自己責任』という言葉。それでは国家としての責任、政治の責任はどうなるのだろう。『テロとの戦い』という名目の無差別殺戮を是認し続け、他人の庭に武器を持って土足で入り込んだ責任は? 香田証生さんが惨殺された事件に関して、この国の政府は無策どころか殺害やむなしという態度だった。その責任と根本的な原因は追求されるべきだ。
今朝の朝日新聞に、米海兵隊の指揮官がファルージャへの攻撃を、泥沼の市街戦へと雪崩れ込んだベトナム戦争での〈フエの攻防〉に喩えて鼓舞した、とある。そのベトナム戦争、そしてそれに先立つ朝鮮戦争という2つのイデオロギー戦争の下、アメリカの優先的な保護政策を受けて工業製品を量産、輸出し続けたのが日本だ。まるで戦争が経済高揚の公共事業とでもいわんばかりに。この国の高度経済成長と今日の豊かさは、400万人とも500万人ともつかない無辜の命によって成り立っているものなのだ。その犠牲の多くは、朝鮮やベトナム、カンボジアといったアジアの第3世界の人々である。
冷戦当時、アメリカが介入したのは朝鮮半島とベトナムだけではない。中東はもちろん、アメリカが〈裏庭〉と称した中南米とカリブ海においてはより露骨で陰湿だし、ソ連はアフガニスタンをその矛先にした。ブッシュが再選された今後、『テロとの戦い』を『第2の冷戦』にしてはならない。血に餓え、かつ自らの手をその血で染めることなくディナーを愉しむ権力者たちが目論むのは、同じ構造の蒸し返しだということは明らかだからだ。血にまみれた豊かさなど!
長田区菅原の公園であの朝感じたのは、この地区で失われた127人の命というよりも、霊魂だった。まだ周囲にはその127人の意思が、思いが漂っているような気がしたからだ。それを生かしているのも、また葬ってしまうのも、残された人々次第なのだろう。そして(そう信じるのが挫けそうになるが)、長田で失われた命は、ファルージャで失われ今も失われている命と、本質的に同じもののはずだ。
(ヤセル・アラファトの訃報が駆け抜けた雨の午後に)
interview by ken and photo by hanasan
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旨い酒のように : (04/09/26 @ Shisaibashi Quattro) : review by ken, photo by hanasan
photo report : (04/09/26 @ Shisaibashi Quattro) : photo by hanasan
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photo report : (04/06/12 @ Shisaibashi Quattro) : photo by yegg
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僕たちはみんな同じ血の色をしている : (04/03/09 @ Osaka Banana Hall) : review by ken, photo by yegg
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photo report : (01/09/27 @ Shinjuku Liquid Room) : photo by hanasan
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極東戦線異状あり : (04/09/20) : interview by ken, photo by hanasan
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