さよならアメリカ、さよならニッポン... でも、再び「こんにちはアメリカ...」かなぁ..
目指せ、ハイド・パーク・ミュージック・フェスティヴァル!(2nd Jul '05 )
- part1 -
日本のロック史を語る上で欠かすことのできないバンドにはっぴいえんどがある。そのラスト・アルバムが、アメリカで録音された『HAPPY END』(73年)だ。といっても、実は、すでにこのアルバムの話が生まれた時点で、バンドは解散状態だったのだが、彼らが愛するヴァン・ダイク・パークスをプロデューサーに、リトルフィートのローエル・ジョージやビル・ペインと録音できるということで、おそらく、通称、『はっぴぃ』にけりを付けるような形で録音されたのがこのアルバムなんだろう。
実際、その前後からすでにソロ活動に焦点を当てて動いていたのがメンバーたち。大滝詠一はシンプルに自分の名前『大瀧詠一』(72年)を付けたアルバムを、そして、細野晴臣は『HOSONO HOUSE』(73年)を発表し、作詞家となっていったドラムスの松本隆は『風のくわるてつと』(72年)というソロ・デビュー本(詩集)を出版。加えて、しばらく後れを取ることになったのだが、ギターの鈴木茂はアメリカで『HAPPY END』と同じようなメンバーと共に『Band Wagon』(75年)という傑作を生みだしている。
後れを取った鈴木茂の事情はよくわからないのだが、すでにメンバーが72年頃には独自の世界に踏み込んでいたということを象徴していたのが『HAPPY END』の最後に収録されている曲「さよならアメリカ さよならニッポン」じゃなかったかと思う。色濃くアメリカ音楽の影響を受けながら、日本語で独自の「ロック」を成立させようとしていた彼らが、アメリカや日本というこだわりに別れを告げているのがこの歌の歌詞。単純にタイトルを繰り返し、バイバイとここで歌っているのだ。なにやらこれが、「アメリカでもなく、日本でもない」自分たちの音楽を作り始めていくということを語りかけているようにも思えるし、これ以降に発表されていく作品をチェックしていくと、それが明確になっていくのだ。
特筆すべきは細野晴臣と大滝詠一の周辺だ。通称『エキゾチカ三部作』(『トロピカルダンディー』、『泰安洋行』、『はらいそ』)と呼ばれる細野の作品、それにナイアガラ・レーベルをうち立てて大滝が出していったシリーズ(『NIAGARA MOON』、『GO!GO!NIAGARA』などが入手可能だが、超傑作は『Let's Ondo Again』)は、それを端的に示している不朽の名作といってもいい。加えて、彼らがどこかで関わることになる小坂忠や久保田麻琴、吉田美奈子、南佳孝(デビュー作は松本隆がプロデュース)といったアーティストたちがアメリカへの憧憬から抜け出して独自の世界を生み出しながら、日本のロック史に残る名作を量産していくことになる。
興味深いのは、その頃、細野晴臣と大滝詠一やその仲間が住んでいた場所だった。いずれも、旧米軍ハウスのある地域で、細野は狭山に、そして、県境をはさんで大滝は福生に居を構えていた。彼らだけではなく、そういったエリアに小坂忠や西岡恭蔵、吉田美奈子、和田博巳(元はちみつぱい)や乱魔堂のギタリストだった洪栄龍、シンカーソングライターからプロモーターへとなっていった麻田浩たちが居を構え、さらには、あの時代を象徴した作品を次々と生みだしていったデザイナーやイラストレーターといったさまざまなクリエーターがこういったエリアに集まってくることになる。その中心が狭山市であり、彼らが互いに影響を与えあうことで、オリジナリティ溢れるシーンを形成していったんだろう。
- part2 -
report by hanasan
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