高田渡様 お疲れさま、そして、ありがとう。 (21st Apr '05 )

part1
 19日からロシアに向かった渋さ知らズが行った17日のライヴ(渋谷クアトロ)の幕開けは、高田渡の名曲『自衛隊に入ろう』だった。当然ながら、これは、16日午前1時22分に釧路の病院で彼が亡くなったニュースを受けてのことだった。渋さが『自衛隊に入ろう』をカバーしていることもその理由だろうが、『ジャズと芝居をベースとしたアナーキーなバンド』という表層的な渋さのイメージの奥底で、あくまで自由人を貫き通した高田渡と本質的な部分で同じ土俵に立つ渋さが、先人であった高田渡を追悼したのだと考えている。
 ニュースの第一報は編集長がソウル・フラワー・ユニオンの中川氏らと立ち上げた非戦音楽人会議のMLで受け取った。確か、午前8時半ぐらいじゃなかったろうか。それから、ネットで情報を確認してMagのトップ・ページで速報。しばらくして、このところ休筆中の札幌のmagライター、ysmzからさらに詳しい情報を記したメールが入っていた。
 彼によると、高田渡がツアー中に倒れて病院に運ばれ、そのまま入院した後とのことで、死因は髄膜炎腫(ずいまくえんしゅ)らしい。(心不全説もあり)享年56歳。今月3日に釧路管内白糠町でコンサートを行った時のことだったそうです。関係者によると、その際、開演前に足下がふらつくなどの症状が見受けられたそうですが、本人は「大丈夫」とのことで、その夜、「生活の柄」など15曲を演奏。ライヴ終了後に倒れ、意識を失ったため、釧路市内の病院に運ばれましたが、意識が戻らないまま、亡くなったということのようです。
 歌い続けて、そのままこの世とおさらばしたという意味では、これもまた高田渡的で、どこかで本人は、そんなことどうでもいいと思っているんだろうが、とてつもなく偉大な宝を亡くしたという喪失感はぬぐえないし、時間が過ぎるにつれ、その気持ちが大きくなっている。本当は、日本のフォーク・シーンなんて半端なものじゃなくて、「普通の人たち(堅い言葉で言えば、一般大衆?)の音楽」という意味において、最も重要なミュージシャンでアーティストだったと筆者は考えるのだが、どこかでミュージシャンズ・ミュージシャンであり、同時に、「普通の人たちの音楽をやっている(だからこそな)のに」とてつもなく奥深い詩を書く詩人として、正当な評価を与えられていなかったように思える。筆者にとっては、国宝どころか、人間の宝だった。
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report by hanasan
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