nbsa+×÷ @ 新木場スタジオ・コースト (14th Sept. '08)
- 笑って泣いた「地下街の人びと」 -
ステージ前に生い茂る南国の植木の間から、首謀者のひとり、三宅洋平が開催宣言を……というより、いてもたってもいられない、なんて気持ちを腹の底から絞り出して開幕した。かのスカ・フレイムス(Ska Frames)のダウン・ビート・ルーラーから、世界に広がるラディカル・ミュージック・ネットワークの極東支部とも繋がりを持つラテン・ロッカーズの本格派、コパ・サルーヴォ(copa salvo)が登場し、日本でもじわじわと人気が高まりつつあるトロピカル・サウンドに彩られ、関西人独特の照れ隠し全開のMCなどもあって、踊りに笑いにと上々な滑り出しだ。
リズム隊だけを残して去ったかと思えば、あれよあれよという間にゴマ&ジャングル・リズム・セクション(Goma & Jungle Rhythm Section)のリズム隊が絡み、生音によるクロス・オーヴァーが始まった。サルサから人力トランスへとフェーダーを滑らすこの時間こそ、イベントに散りばめられたサプライズのひとつ。ラテン・ロッカーズは引き続き島国の土のビートを刻み、ゴマは数あるプロジェクトの中でも超攻撃的ユニットでそれを迎え撃つ。土のビートは島国からオセアニアの大陸へと移動し、BPMまで変化させていたが、それらすべてがいつの間にかの出来事だった。
ステージ左のスペースにはやたらと気になる巨大キャンバスがあり、フジでもお馴染みのグラヴィティフリー(gravityfree) とドラゴン76(DRAGON76)がライヴ・ペインティングを行なっている。期待ばかりが膨らんで、この時点ではまだまだ縦横無尽に遊ぶ曲線と朱の円から派生した女性らしき人影でしかないにもかかわらず、チラチラと目をやってしまう。
よそ見の間にもメイン・ステージの様子は目まぐるしく変わり、喉だの腹だの横隔膜だの、あるいはそれ以外のなにがしを使っているのか、常人の理解を超えたリズムの山を積み上げる桜井響のヒューマン・ビート・ボックスに、居酒屋問答のような言葉を添える鎮座ドープネス(鎮座DOPENESS)の名コンビがフロアを掌握していた。驚きとも笑いともつかないオーディエンスの反応を喰って、溌剌とした掛け合いはさらに加速していく。各自がイベントに対して強い念を抱いているからだろう、誰が出てこようとがっぷり四つでバトルしている。転換をグラデーションで彩ることで、この日この場所このメンツでしか成し得ないひとつの伝説へと向かっていく、そんな共通意識が漂っていたのだ。
こりゃたまらんと、長丁場を見据えて徘徊してみれば、バーの脇にはくつろぎのラウンジがござい。外のテントでは絶えず踊らせる殺しの繋ぎが、プールサイドでは旧き良き黒人音楽で軽やかにステップを……とそれぞれ毛色の違う音楽が溢れているから、てんでバラバラなオーディエンスの趣味趣向にも響いてくる。集まった3000超の顔を和ませるために、屋台にバーにとありとあらゆる刺激が用意されていた。
メイン・ステージへときびすを返せば、どこを斬ってもサマになるサン・パウロ(THE SUN PAULO)がちょうど演奏を始めたところだ。奇妙な出で立ちにみあった呪術的な抑揚で「俺らはぁ、最年長だけどぉ、負ける気がぁ、しなぁい…」と牽制しながら、強靭なグルーヴを組みあげていく。披露したのはカーペンターズの"クロース・トゥ・ユー"……となれば、先の言葉は自信としたたかさの表れだ。シアター・ブルック(Theatre Brook)で王道を突き進み、サン・パウロではおおげさな格好でヒール(悪役)を演じる。その変わり身自体がアンダーグラウンドを表しているようで、面白い。
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再びの徘徊を経てステージへと戻ってみれば、キーコ(Keyco)&鼓響のピースフルな時が終わりに近づき、クロマニヨン(cro-magnon)が控えていた。続いて出て来たのは、なんと山仁。惜しまれつつ解散したジャズ・ヒップホップ・バンド、ループ・ジャンクション(Loop Junction)のメンバーがステージで揃い踏み、ハモンドオルガンから紡ぎだされたのは、青く静かに燃える"弔"のイントロだ。4年ぶりのハモンドに込み上げるものがあったのか、フロントマン・山仁は微動だにしない。リリックを投げつけ始めれば、その深く沈み込む声は唄と詩の狭間を行き来して、オーディエンスのこころにしずくを落としていく。青かった炎が「哀愁の歌ッ!」と叫ぶ一点で紅く燃えあがれば、何故か自然と涙が溢れてくる。ジャンル無用のコミュニティ、アンダーグラウンドのネットワーク……nbsaの根本には「繋がり」がどっかりと座っているからこそ「Loop Junction(輪の交差点)」という、最もイベントに相応しい名前が復活したのだろう。
祝祭となったループ復活劇からなだれ込んだクロマニヨン(cro-magnon)。抜けた言葉の穴を感じさせないドラム、ギター、ハモンドの三つ巴はジャズの枠からはみ出して、変幻自在に飛びまわっていた。そこへレゲエ・ディスコ・ロッカーズ(Reggae Disco Rockers)のシンガー・有坂美香が飛び込み、ソイル & ピンプ・セッションズ(SOIL & "PIMP" SESSIONS)から元晴・タブゾンビのあばれホーン隊と、パーカスで犬式 a.k.a.ドギースタイルよりイズポンが参加。絡んで立ちのぼる気炎は、さんざんフロアのウッドデッキを揺らしていったのだった。
そもそも、知った顔の仲間がわんさかいるわけで、バンドの持ち時間であっても飛び入りがあったりとサプライズの連発だ。それらは「やる?」、「やって!」という呼びかけから始まり、ひとつ返事で生まれているのだろう。セッションで繰り広げられるのは未だ形として残されていないというだけで、未来の名曲の芯となるものかもしれない。
その贅沢な時間の中でも、スタッフはステージの上を右へ左へ動いていた。あれよあれよという間にDJブースが組み立てられ、DJ バク(DJ BAKU)が登場。彼も邂逅(KAIKOO)というアンダーグラウンド発のイベントをやっていて、nbsaが自然との共存共栄ならば、邂逅は都会的というかサイバー・パンクというか、混沌という単語で表されるようなもの。相反する両者のリンクにただならぬ胎動の予感を覚えるその間にも、太華のヒューマン・ビート・ボックスがこちらの理解を超えた厚いビートを生み出し、バクがスクラッチで応える。その掛け合いに漢a.k.a.ガミ(GAMI)が加わり、サンパウロの佐藤タイジよりも直接的に昨今の大麻問題へライムという鉄拳をお見舞いしていく。それは、ソイルの社長が準備万端で構えていても、まるで気づかないほどに熱のこもったものだった。
「転換なし」は、聞こえこそいいが体力との闘いだ。が、ソイルのデス・ジャズは縦ノリで突っ走り、まるでお構いなしといった様子で攻め立てる。"マシロケ"は跳ねるリズムとピアノを背景に、ホーン隊がありったけの息吹を注ぎ込み、社長は無数のオーディエンスに対して「息が続くか?」とでも言いたげな煽りで猛ラッシュをかけ続けるのだ。ソイルの終わり頃にもなると、脇のキャンバスも場面をめまぐるしく変化させては音を放射し、描かれたキャラクターが踊りだしていた。目はその土色のリズムを追うくせに、耳から入る超攻撃的なジャズに体は揺れるという具合で、ひとつに集中するのは到底無理。そんな調子でソイルとダチャンボ(DACHAMBO)のセッションへとなだれ込めば、今度はVJの組み立てる映像が音像とリンクして迫ってくる。ディジュリドゥの倍音が踊り続けて疲れているオーディエンスをくすぐると、脳内麻薬はドクドクもの。ラストスパートに差しかかったマラソンランナーがポコポコと生まれていた。
渦巻く生音と明滅する光の洪水に飲み込まれ、一体となったまま突っ切れば、いよいよレベル(反抗)という旗を掲げる闘士、犬式の登場だ。今回はセネガルのジャンベ奏者、ラティール・シー(Latyr Sy)を加え、三宅洋平の世相を切り取った言葉(ここ一週間の雑感をこれでもかと詰め込んでいる)から"炎のレゲエ"へと続く。泣きのギターは響く中で、頭は残った言葉の意味を探っている。事実を述べて「ライツ?」で締めくくりはするが、その主張と一致することは、必ずしも必要ではない。各自が自分の意見を持つべき、その結果として通じ合えるはず……との思いが感じとれるのだ。ボブ・マーリィの"エクソダス"に"ヴィレッジ・ヴァンガード讃歌"と、がっつり鬼盛りの大暴れをかましてくれたものの、おそらく本人たちにとっては不完全燃焼だったのではないかと思う。
そのまま出演者勢揃いの一大ジャム・セッションが始まれば、照明の光はフロア全体に降り注いで、それぞれの顔を照らし出す。盛り上がりは最高潮に達するも、終わりを排したイベントをどうやって終らせるか……これほど難しいことはないのだろう、名前をコールされた者が最後のアピールをかましてステージを後にするという即席のルールを作るも、火は一向に消えず。ボブ・マーリィの"クッド・ユー・ビー・ラヴ"が数回巡る間に、いつしかフンドシ一丁となり、コドモ還りしていた三宅がマイクを天に放り投げ、ステージを打ってどうにかこうにか〆。この日を終らせたくないの一念から生まれた「終りよければ全てよし」の言葉がまるで当てはまらないグダグダ感が微笑ましい。そのすぐ後に出てきたクロマニヨン大竹重寿が、次回への期待を含ませた大人なスピーチでもって帰りを促していた。
新木場へ向かう道すがら、まるでフェスにでも行くかのような妙な期待感があった。nbsaというイベントはこれからも続いていくだろうが、一回の密度は他を圧倒するものがあり、その日その場所でしか起こりえない無限の可能性を秘めている。そう思うのも、バンドの途切れがまるでないという型破りなチャレンジ精神と、田舎の山中で開催される宴とを、どこかで重ねていた部分があったのだろう。ひょっとすると「非日常」といったものかもしれないし、理由がなくとも行きたくなる高揚感の類いなのかもしれない。宴とこのイベントのどちらにしても、ひとつの結論や定義を見い出すのは相当に難しい。今、nbsaという地下コミュニティは確かに地上へと繰り出して、いたるところに火種を残している。今年の朝霧ジャムのメンツのうち、nbsa+×÷の参加者がどれだけいたか、その割合に驚くことだろう。
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report by taiki and photos by naoaki
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