グラストンバリー・フェスティヴァル @ ワージー・ファーム、ピルトン、サマーセット (22nd - 24th Jun. '07)
ラ・キンキービート @ ザ・グレイド (24th Jun. '07)
ドーバー海峡は思いのほか広い
アザー・ステージからジャズ・ワールドへ抜ける山側の小道にたたずむザ・グレイドというステージは、雨から逃れるため、またはひとやすみついでにライブでも見ていこうか、という絶好のチラ見ポイントに位置している。パンキー・レゲエやスカを基本にブレイクビーツといくらかの切り口を見せているラ・キンキー・ビートは、青白い顔をしたイギリス人の群れには風変わりなバンドと映ったようだ。それだけにオーディエンスの集まりは上々で、ぽかんとした表情だった者の大半はロック・ラティーノで踊りだしていた。
上半身裸のパーカッショニストが躍動し、マフィアにも見える大男がサンプラーをいじくり紅一点のマタハリと掛け合いをしていく。ジャンルの枠組みを越えることで浮かび上がる世界地図と、過去と現在をごちゃまぜにしたトリップ感覚は、日本には伝わっていないだけでラテン圏ではあたりまえのものだ。音だけではなく、主張もまじえた本来のミクスチャーというものはスペイン語を筆頭としたラテン語圏にあるのは間違いない。ラ・キンキー・ビートにも同じ姿勢を感じていたのだが、終わってみたら残念な思いでいっぱいだった。
はっきりとした筋が通っているなら、何があってもそれを押し通せばいい。これがライブを見終えた時の感想だ。あからさまな不快感を示すのは、誰にとっても気持ちのいいものではない。僕は問題の曲"ベラ・チャオ"の意味を知っていた(といっても最近知った)。自由を勝ち取るために死を覚悟し、近しい者に別れを告げる曲とでも言おうか。ザ・グレイドにいる人たちは、拳を突き上げるラテン系の人たちを除き曲のノリだけで踊った。訳してくれる存在がいないため、叫ばず"踊るだけ"だった。そんな反応いかんでマタハリの表情がみるみる曇ってゆく。萎えたというより、主張を力ないものにしてしまったことが残念だった。あなたにとって、そんなちっぽけな曲だったんすか、"ベラ・チャオ"は。スペイン語が喋れるならばそう言ってやりたい。光を失わない他のメンバーとのギャップが痛かった。
確かにオーディエンスはバンドと同等かそれ以上の力を持っている。イタリアやスペインでこの曲を聞いたとき、奇ッ怪な巻き舌言葉で叫ばれる主張はオーディエンスの大合唱というガイドによって翻訳され、はじめて真に迫ってきた。言葉がいったん映像に変わり、再び言葉へ還るというタイムラグはあったけれども、目の前の霧が取り払われた感覚は確かにあったのだ。
ラテン圏の魂といえる曲をわざわざ訳して歌えなどとは言わない。マタハリは英語を話せるという。ならば、不機嫌な顔をさらす前にMCを挟んで、曲が生まれた背景を説明したらどうだったか。ソウル・フラワー・ユニオンは、その"ベラ・チャオ"を日本語でカバーしている。日本語が母国語であるのはもちろんだが、はじめて手にとった人にすんなり伝わるように訳したのだろう。
グラストンバリーは世界各国からアーティストを集め、囲われた空間の中で世界の縮図をちらりと見せてはくれるけれども、各々の文化を染み渡らせるにはあまりにも無力だった。ユーロスターが開通したり、世界最大のフェスティバルだからといって、イギリスと他の国が簡単に繋がるようなものではないのかもしれない。
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report by taik and photos by q_ta
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