MOD MAYDAY '04 @ Club CITTA' Kawasaki (15th May '04)
"We are the mods, We are the mods, We are,We are, We are the mods!!!"
それはある種、異様な光景だった。ロンドン南部に位置するリゾート地、ブライトンで、モッズとロッカーズの暴動が起きたのが、1964年8月3日。当時のイギリスでは、モッズ・ムーブメントが盛り上がりを見せていて、マスコミにも煽られるような形でその暴動は起きた。いくら最先端の流行だったとはいえ、1000人ともそれ以上とも言われるファッショナブルなモッズと、男くさいロッカーズが集まったその光景は、新聞の一面を飾ったことからも、そのインパクトが窺い知れる。しかしここで僕が言いたいのは、それから40年が経った2004年5月15日の話だ。
|
この日の3時過ぎ、渋谷公会堂前。M◎DMAYDAYへと向かうスクータ・ランに集まったモッズたちの、道を挟んだ向こう側には、黒い顔に目の回りだけを白く縁取った、ギャルとギャル男の集団が、恐らく雑誌か何かであろう撮影をしている。そんな"ありえない"光景の中で、M◎Dカルチャー生誕40周年を迎えた今年のMAYDAYは始まった。
僕らがその場所に着いたときには、まだ数台のべスパしか集まっていなかった。あれっ、もう集まっててもいい時間なのに…、と思っていると、次第にその数は増していき、4時過ぎには警官が現れる程にまで膨れ上がる。スクーターから吐き出される排気の匂いと、おそらくこの日の為に仕立てたのだろう細身のモッドスーツに身を包んだ伊達男たちの最高にクールな雰囲気に、街行く人は、何事かとみな足を止めている。まだイントロに過ぎないはずのこの“RUN”を見ていると、クールに熱い夜への期待は、嫌がおうにも高まる。50台以上にもなろうかという、ライトとミラーでその顔をデコレートされたクラシック・スクーターたちのエンジン音と共に、モダンなヤツらの祭りが幕を開けた。
|
7時過ぎにチッタに着いたが、4時間ほど前に渋谷で見た例のスクーターたちが、どこにも見当たらない。遅いなぁ、早く来ないかなぁ、などとライブなんかよりランチームの到着が気になって仕方ない、それくらいのインパクトが、スクーター・ランにはあった。スクーターを見たい人のために、この日の会場は出入りが自由だったことからいっても、このスクーターの大群が単なるオマケではなく、しっかりとイベントの一部になっていることが理解できる。待つのにも痺れを切らしたころに、ようやくスクーターも集まり出してきた。
会場内に目を移すと、さすがにモダンを自負する者の集まりだけあって、身につけている物にもダンスにも、スタイリッシュ以外に言葉が見つからない。DJとモッズバンドが叩きつけるR&RやR&Bに合わせて、缶ビールやワインを片手に、腰をシェイクしながら踊ったり、挙句の果てにはステージに上がって華麗なステップを見せつけるヤツまで。“さらば青春の光”のジミーのように、2階席からダイブするヤツはさすがにいなかったが、そんなことなどしなくても、十分にみんな目立っている。1年に1回のこのイベントのために、日本中のモッズたちは毎日働いているんだろう。この日わざわざ静岡から各駅停車に乗って来た、なんてモッズまでいたくらいだから。
|
モッズのイベントにロッカーズがいる!、と驚いてよく見ると、MAD3のメンバーだった。ガールズガレージバンドのThe 5,6,7,8'sも出ていたくらいだし、40年経った今となっては、もはやモッズとロッカーズは和解を果たした、といったところだろうか。夜が深けても、酒と音楽とクールな雰囲気があれば盛り上がりは衰えるはずもない。Spindlesの時なんか、客もメンバーも関係なくステージ上がモッズだらけになってるし、トリを飾ったThe Marqueeに至っては、スタッフが出てきて楽器を取り上げるまで演奏を止めようとしない。しまいにはドラムセット蹴り倒して去ってったし。それでもやはり一番の盛り上がりを見せたのは、日本の元祖モッズバンドともいえるThe collectorsと、この人なしでM◎D MAYDAYは語れないと言うくらいに毎年出ているThe Bossだろう。フロア中が、こいつら普段どこにいるんだ?と不思議に思うくらい、街中では絶対に見かけることもないお洒落なモッズで溢れ返り、みんなが思い思いに粋なステップを踏んでいた。
ライブが終わり外に出ると、雨が降っていた。濡れて一層輝いたべスパやランブレッタ達を見て、ジミーのように、大事なスクーターをコケてポシャッてしまわないように、などといらぬ心配をしながら会場を後にした。来年は自分もべスパを買って、スクーター・ランに参加しようと心に決めながら……。
って、その前に2輪の免許取らなきゃ(汗)。 |
report by imakaz and photo by hiroqui
|
|
|