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振り返ると、2002年のフジロックが最も輝いていたように思える。今は亡き忌野清志郎やジョー・ストラマーが同じ場所にいただけではなく、パティ・スミスが予定外の詩の朗読をやった年でもあった。さらにはレッチリのステージにジョージ・クリントンが飛び入りして、オーディエンスが波打つように揺れ動いた光景も強力だった。クロージングをつとめた、日本では無名のバンダ・バソッティがあこがれのジョー・ストラマーと邂逅し、もうひとつのあこがれだったスキャタライツにリコ・ロドリゲスも同じ場所にいた。そういった有名無名のアーティストに混じって、大きな驚きを持って会場にいた人たちのハートを鷲づかみにしたのがマヌ・チャオだった。
その衝撃が訪れたのは前夜祭。彼が演奏を終えるやいなや、「誰だ、このマヌ・チャオというのは...」といった言葉が会場を駆け抜けていった。マノ・ネグラの顔としてのマヌを知る世代はフジロックでは少数派だったんだろう。若いロック・ファンには「とんでもないライヴをやってくれる無名の人」として受け入れられたように思う。が、マノ・ネグラのライヴを体験した世代にとって「やっと、あのときのマヌが帰ってきた」という想いの方が強かった。それを今も体験させてくれるのが91年に川崎クラブ・チッタで録音されたライヴ・アルバム、『イン・ザ・ヘル・オヴ・パチンコ (In the Hell of Patchinko)』。ポスト・パンクからしばらくの後、UKがコマーシャリズムに飲み込まれてかつての輝きを失っていた時、まるで当時の熱気をそのまま昇華したかのような彼らがどれほどの衝撃を与えたか... ザ・クラッシュとピストルズにザ・スペシャルズのエネルギーにジプシーからラティーノ要素をふんだんに盛り込んだ音楽にラディカルなメッセージが重なる... っても、フランス語やスペイン語あたりで歌われる歌を理解するには「訳詞」のお世話にならなければいけないんだが、それでも端々に聞き取れる単語だけで彼らがどこに立つ人間なのかは十分に理解できた。
あまりに過激なライヴでバンドが消耗したんだろう。彼らはその数年後、南米ツアー中に空中分解し、コロンビアはボゴタでその歴史に幕を閉じることになる。そのときのいきさつは、後にP18というユニットを組んだオリジナル・メンバー、トム・ダーナルとのインタヴューで知ることになるんだが、スペイン語からラテン系の世界で彼らが残したインパクトはクラッシュに匹敵した。
『クランディスティーノ(Clandestino)』で98年にソロ・デビューを飾り、フジロックにやってきたのは『プロキシマ・エスタシオン : エスペランザ (Proxima Estacion: Esperanza)』を発表した翌年。当時のライヴは『ラジオ・ボンバ・サウンド・システム (Radio Bemba Sound System)』で楽しむことができる。それ以降彼が来日を果たしたことがないのが残念でたまらないんだが、ヨーロッパやラテン・アメリカのみならず英米でも圧倒的な支持を得ているというニュースは伝わっていた。
当然のように、すでにそのライヴ・アルバムを持っているのに、なぜ、今回この『バイオナレナ(Baionarena)』を手に入れたか? 第1の理由はDVDだろう。一昨年のグラストンバリーでのライヴが圧倒的だったのに加えて、しばらくの間だったと思うが、無料ダウンロードできた前日のライヴ映像にやられた。それを見て満足するどころか、もっともっと聴きたい、見たいと思ってしまったのだ。ライヴでこそ魅力を発揮するのがマヌ。それは100%以上正しい。心臓が張り裂けそうなほどに、得体の知れないエネルギーを感じるだ。単独ライヴは3時間も続くといわれているのに、わずか1時間程度のグラストでさえあれほど熱くさせてくれるなら、彼自身の、しかも、純度100%の濃密なマヌ・ファンの真っ只中で繰り広げられるライヴが悪いわけはない。そんなときに知ったのが、昨年暮れに発表されたこのアルバムだった。
そんな予感を見事に証明してくれたのがこのアルバムだ。会場となっているのはフランスのバスク地方、バイヨンヌの、おそらくは、サッカー・スタジアムだろう。上述のグラスト公演から一月ほどの後、7月30日の演奏を収めているんだが、2枚のCDに収められてるのは33曲。2時間半におよぶライヴ・ドキュメントとなっている。前回のライヴ、『ラジオ・ボンバ・サウンド・システム (Radio Bemba Sound System)』との明らかな違いは、わずか1枚には収めきれなかった本来のマヌ・チャオのライヴがほぼ完全な形で記録されていること。DVDのボーナス映像に垣間見えるのだが、おそらく、このライヴの前に地元の人々による演奏やダンスなんぞが披露されていたようで、すでにウォームアップを終えて、待ちきれなかったようにも見えるのがオーディエンス。彼らの熱狂的な手拍子にのって、メンバーが登場するやいなや瞬間沸騰したような熱気が会場を襲う。驚異的なのは、そんな熱気が途切れることなく暴発していく様だろう。これまで幾度となく熱狂が渦巻くライヴを体験してきてはいるんだが、ここまでとんでもない勢いを感じさせたものはない。同じく、これほどまでの感動と熱気と興奮を途切れることなく与えてくれたライヴ・アルバムもないだろう。
ステージに立つマヌに重なるのはジョー・ストラマーやボブ・マーリーといったミュージシャンやチェ・ゲバラからマルコス副司令官といった革命家たち。たとえ言葉は理解できなくとも、その向こうから「聞こえてくる」言葉を感じるのだ。彼の歌から聞こえてくるのは貧しくとも慎ましく、たくましく生きる普通の人々の声であり、虐げられた人々の叫びにも聞こえる。ガリシアからバスク、そして、カタロニアにパレスティナからチアパスといった独立や自治を求める人々の声。それが沖縄からアイヌにも重なってしまうのだが、マヌが彼らの現状を知ったら、おそらく、歌になるだろうということは容易に想像できる。ボーナスとして収録されているビデオ・クリップの1曲、「Me Llaman Calle(メ・ヤマン・カイエ - 直訳すれば「私をストリートと呼ぶ」)」ひとつをとっても、それがわかるのだ。おそらく、実際のストリート・ガールのなかで撮影されたんだろう、場末のカフェで歌うマヌがここでなにを歌っているのか... それは最近はまっている「満鉄小唄」にも似ているのではないかと察する。
2時間半ほどのライヴの他にボーナスとしてDVDに収録されているのは、世界中を回ったこのツアーのショート・ドキュメンタリー。テキサス州オースティンでは「Politik Kills(政治が殺す)」という歌に続いて、「この曲は、お前のことだ、地球へのテロリスト、ブッシュ!」と叫ぶ姿が映し出され、「連帯」と「ホリデー」をくっつけて「Solidays(ソリデーズ)」と名付けられ、エイズ撲滅のキャンペーンを訴えるパリのフェスティヴァルではまるで政治集会のような様相を見せてくれる。いったい何万人がいるのかもわからない巨大な会場で、ステージを埋め尽くした人々とのフィナーレは、彼がミュージシャンを遙かに超えた存在であることを雄弁に物語ってくれるのだ。
興奮したマヌがマイクを胸に当ててリズムを刻む。マノ・ネグラ時代からおなじみのこの姿は「俺の心臓の鼓動が伝わるか?」と問いかけているかのようにも見える。正確に彼がなにを歌っているのかを理解できなくとも、その本質が確実に伝わっていると応えたくなるのがマヌの音楽。なにやら、今、世界で最も重要なミュージシャンが彼なんだということを思い知らされたように思う。
なお、筆者が入手したのはデジパックのヴァージョンで付属されているDVDはリージョン・フリーで日本のアナログ・テレビでも再生可能。また、amazonのマーケット・プレイスで格安で入手可能となっている。また、こちらの限定盤はブックレット仕様となっている。
reviewed by hanasan
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