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「♪ハーウメニー・ロー・マスターマン・ウォークダン」と鼻にかかった声で歌うディランの歌を初めて聞いてからどれぐらいたっただろう。別に熱心なリスナーじゃないけど、なぜか節目節目でついつい手が伸びてしまうディランのレコード。それは風に吹かれたいだけなのか、それともディランのいつ聞いても衰えない魂に触れていたいからなのか。
ここ一年ぐらい世間を騒がしてきたボブディラン。映画「ノーディレクションホーム」の公開やら初の自叙伝「ボブディラン自伝」の発表やらと世間が活気づいたタイミングで最新作「Modern Times」のリリース。(通算44作目!!)サウンドは軽やかにあの鼻にかかったしわがれ声がスピーカーから流れ出た時、純粋に嬉しい気持ちになった。何より滅茶苦茶かっちょいいのである。
熱心なディランリスナーの方々には怒られてしまいそうだが、ディランをかいつまんでばかりいる僕にとってディラン=反抗の人というイメージがある。それは"風に吹かれて"という歌だったり、ロイヤルアルバートホールでのエレキギターを持った瞬間だったりがそんな印象を植え付けたんだと思うんだけども。そういう意味では今作は必ずしも個人的な期待に添うものではなかった。だからといって今作が悪いのかといえばそんなことはない。いやいや、逆に僕のような中途半端なディランリスナーには知らなかった魅力を存分に教えてくれる傑作に仕上がっている。
取りあえず耳につくのが録音の良さ。まるですぐ隣でギターが鳴り、演奏されているような親密さに包まれている。音の配置も素晴しくどの楽器も控えめにならず、走り過ぎることなく聞こえてくる。鳴らされているのは、ブルース、カントリー、フォーク、ロックンロールととても一言では言えないけど、あくまでもオーソッドクスだ。目新しいことなんてなくたって自分が歌い続けたものに対する確固たる意思を感じる力強さ。メロディーもリフも粒ぞろいでちょっと言葉が出てこないぐらい引き込まれる。歌詞も含め、表現は決して直接的ではない。だからこそ、そこには僕達の想像力が入り込む余地があるというもの。直接的な行動で混乱を引き起こすどっかの国の大統領を皮肉ったのかと思ったりもする。
前作のリリースが2001年9月11日。あの日以来、世界に漂う閉塞感の中でディランが歌い上げたのは人間としてのリアルな生き様だ。斜に構えることもなく、大げさな事を歌って煽動しているわけでもない。僕達と同じ日常を生きているだけだ。歌詞を読む限り泣き笑いのある人間の歌を切々と歌いあげているだけだ。どんなに絶望したって、挫折したって生きることへの賛美を忘れない。地を這うようなディランの歌声は僕達のような市井に生きる人のための歌であり、詩なんだと実感した。
例えばニールヤングもそうだけど、僕は決して彼らのきらびやかな時代をリアルタイムで体感しているわけではない。だけど、キャリアの最後の部分で激しく表現を続ける彼らの音をリアルタイムで聞くことが出来るのは素晴しい体験だ。新しいものだけを物珍しがって騒ぎ立てるだけでは芸がない。一人の歌い手として歩み続けた先に鳴らされる音に込められた魂を心に刻みたい。御年65才の男の歌はいつまでも語り継ぐべき作品だ。
reviewed by sakamoto
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