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ふと、朝の満員電車で、酒を飲んでいる時、時間に追いまくられている時、ため息をついている時、僕は思い出す。この瞬間にこの世界のどこかで流れている涙や血のことを。そして、それはもちろん音楽を聞いているときだってそうだ。マイケル・フランティーが歌う「Yell Fire!」を聞いた時、そんな自分に一つの問いを投げられた気がした。が、それはまた別の話。
歌うという表現はこの作品に関しては決して正しい表現ではないのかもしれない。自らギターとカメラを片手に開戦後1年のバグダット、戦争の火種の絶えることのないパレスチナを訪れた命がけの旅の果てに作り上げた作品。世界のどこかで流れている血や涙に対する憤りと疑問が彼を現地へ掻き立てたようだ。現地での詳細な様子が収められた映像作品「I Know I'm Not Alone」の冒頭で彼は「戦争における人間のコストは触れられていない。」と語っている。彼は戦争での人間の犠牲をリアルに知るために、自らを決して飾りのない世界に身を投じている。タクシードライバー、子供達、カフェでたむろする普通のおじさん、現地のミュージシャン、そして最前線に立つアメリカ兵。そこに写っているのはテレビニュースでは見ることの出来ない人々や表情だ。生の人々の生の表情を映しとっている。目をつぶらずに体感し、自らの足で立ち、爆弾の音を、人々の言葉を聞いている。人間と人間の繋がりを一つずつ切り抜いた作品だ。正にコール&レスポンス。だから、歌うというだけではない。コミュニケーションであり、アクションであり、リアクションでもある。その結末が「Yell Fire!」というレコードであり、「I Know I'm Not Alone」という映像作品となったのだ。
ふたつの作品のキーワードになっているのは共有すること、共感することだ。「I Know I'm Not Alone」という言葉が印象的だ。DVDの随所で現地の人々との「Havivi」という歌を合唱するシーンが随所で現れる。(「Habibi」とは「親しい人」を意味するアラビア語。)そこで見せるみんなの屈託のないの笑顔は世界の誰とも変わらないものだろう。音楽で現地の人の心を巻き込んでいく。音楽を媒介にして共感し、共有した素晴しい場面だ。CDも優しい語り口で歌われているトッラクが印象強い。「Yell Fire」というタイトルとは裏腹に静かなトラックほど秘めた感情が伝わってくる。それは怒りではなく優しさが何かを変えるんだという実感なんだろう。
さて、冒頭に書いた問いかけとは何なのか。それは平和に対して何を思っているかということだ。善悪を単純に決めつけることは、単純で楽な作業だ。だけど、それだけなんだろうか。DVDの最後のチャプターはパレスチナ人とイスラエルの軍人の対話で終わる。単純に割り切ることの出来ない空気がそこには漂っていた。だからこそマイケル・フランティーは声を上げたのだと思う。わかりあうことこそが、これ以上血や涙が流れないための方法なのだから、共感し、共有することは必ず出来るはずだと。僕達は考え続けなくちゃいけない。それは、何が良いとか悪いとかではない。彼と歌う人の笑顔を、爆弾の音を、今は分かち合えない2人の会話を。色んなものを僕らは共有し考え続けなければならない。イスラエルの軍人との別れ際に交わした「サラーム」(平和)という言葉が決して社交辞令にならないために。
爆弾を落としてたって世界は変わらない。そんなエールをマイケルフランティーの歌声から僕はがっつり受け取った。
*こちらでビデオを見られるようです。また、こちらでは、マイケル・フランティとスピアヘッドが主催者に加わっているフェスティヴァルのサイト。面白い情報がいっぱいあります。さらにこちらでは今回紹介されたDVDや英語のことを詳しくチェックすることができます。
reviewed by sakamoto
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