|
|
歌とは何であろう。歌うこととは。一体何のためにあるのか。一体誰のためにあるのだろう。金儲けのためにあるのか、偽政者の代弁に為のものなのか。それとも、権力の目的のためにあるのか。いや、そんなわけはない。歌は人間のためにある。ここに生きている人間のためにあるのだ。ソウルフラワーモノノケサミット(以下モノノケ)の音楽聞いているとそんなことが実感として目の前に現れる。
9年振りとなる新作「デラシネチンドン」からプンプン臭ってくるのもやはりそんな人間臭さだ。僕にとってモノノケの演っている音楽のほとんどが初聴ものばかり。つまり、彼らのオリジナルとして聞いてしまうことが出来る立場にいるリスナーだ。しかし、気持ちよく歌う中川敬の歌声の、バンドの鳴らす音の向こう側には人間の気配をビンビン感じる。そう、この歌を歌い継いできた人達の気配を。そんな気配から僕が一貫して感じるのは解放だ。その歌が歌われていた時の空気の、歌い継いできた人達の思いの解放だ。釜ヶ崎の喧噪が、重労働を耐え忍ぶ炭坑労働者達の掛け声が、被差別部落に暮らす女性達の愛が。モノノケというアンプを通してビシビシと流れ込んでくる。
それは、一回聞けば口ずさめるような親しみ易い曲が選曲されているのもあるし、中川や伊丹がそれぞれに楽曲達をしっかりと咀嚼した結果と言えるのかもしれない。だけど、それ以上に僕の心を突き動かすのはモノノケというバンドが鳴らす音のフィジカルな感触だ。モノノケの誕生は11年前の阪神淡路大震災だった。以来、歌を必要とする所へ行って歌うという活動を続けてきた。そんな「歌のありか」を見つける活動こそが、彼らの中に血となり肉となり楽曲に魂を吹き込んだ一番の理由なんだと思う。そう、そこで出会った歌や人との繋がり、この現場感に溢れた生々しい感触こそがモノノケの鳴らす音の向こう側に潜む気配を作っているのだ。
中川敬は言う「唄の歴史には、お互いが一心不乱に遊んでいるものがひしめいているんや」と。デラシネチンドンで歌われる歌には決して明るいお気楽な歌だけが並んでいるわけではない。しかし、このアルバムに陰湿な空気は皆無だ。それはメンバーが歌を歌い継いできた人達と一心不乱に遊んだからだろう。そして、僕は知る。唄の先には希望があったのだと。多くの先人達は歌に希望を込めていたのだと。この作品には希望を持った人間の音が目一杯詰まっている。正に人間のための歌ばかりだ。
reviewed by 坂本唯
|
|
|