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羨望と羞恥
月日が経つのは早いということを実感させられる映画である。自分にとっては、つい昨日のような出来事であるブリットポップを振り返る映画が、もう作られたことにちょっと戸惑うのだ。ええぇ〜っ!?こんなに昔だったの?と。当時、ブラーの『モダンライフ・イズ・ラビッシュ』を聴きまくり、スウェードの初来日のライヴに行き、「最近何聴いてる?おれはオアシスっていうのが好きだな」などと大学卒業間際に語り合った日々が気恥ずかしさとともによみがえってくるのだ。
ブリットポップが盛り上がっていたときというのは、要するにイギリスが自惚れていた時期ということなんだろう。第二次大戦後、戦勝国に名を連ねていたものの、世界の覇権はアメリカに握られ、70年代は深刻な不況で英国病とまで言われる。サッチャー政権による荒療治で再生したイギリス経済は、結果的に国民生活の底上げをもたらし、活力を持ち始めた労働者階級の自意識の拠り所としたのが、ブレア率いる新しい労働党であり、それとリンクするように盛り上がってきたのがブリットポップなのだ。考えてみたらブリットポップには、マッドチェスターやグランジと比べ特定の共通したサウンドスタイルや革新的なものがない。あるのは「俺達は素晴らしい」という自意識なんである。それは長い間、保守党政権に抑圧された人々がようやく解放されて上げられた声なのだ。そしてそれは、ザ・フーやキンクスなどの再評価、パンクの中では最も愛国的なポール・ウェラーの復活にもつながってくる。アメリカ文化に対してイギリスのライフスタイルを見つめ直し、それを愛そうという運動なのであった。
ただ、どうしてもブームは、ビジネスに巻き込まれてしまうし、ハイプなものになってしまう。映画では当時の関係者たちがインタビューで振り返る。ブラーのデーモンは「何であんなバカ騒ぎに巻き込まれちゃったんだろうなぁ・・・」という後悔が手に取るように分かるし、パルプのジャービスは冷静に淡々と振り返り、マッシヴ・アタックの3Dは「あんな騒ぎとは関係なく、俺達は真面目に音楽をやってもたもんね」という静かな自信とともに第3者的に語る。オアシスのノエルは、最も渦中にいた当事者として誠実に語る。だけども、まったく反省なし、何も考えずに評論家の分析も台なしにしてしまうのがオアシスのリアムで、そのリアムの受け答えがこの映画の爆笑ポイントになっている。
そして、当初、労働者階級から喝采を受けたブレア政権はサッチャーと対して変わらないうえに、イラク戦争に荷担し、多くの人たちを落胆させた。一方、映画ではオアシスの凋落と入れ替えにロビー・ウィリアムスが表舞台に出てきたことになっているけども、レディオヘッドに代表される内省的なロックがブリットポップと入れ替えでブレイクしたのではないかと思うのだ。そこをきちんと指摘すれば、この映画に同時代を描いたものとして評価できたのにと思うけど、音楽と政治と社会がキチンとリンクしたドキュメンタリーを作れるイギリスと、バブル経済のときに何が流行っていたのかも思い出せない日本と比べれば、このような映画が存在するだけでもうらやましいと感じるのだ。
reviewed by nob
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