赤目四十八瀧心中未遂

監督: 荒戸源次朗 出演 : 寺島しのぶ、大西滝次郎、大楠道代、内田裕也他
2/28よりテアトル新宿にて公開予定。
The official site :
http://www.akameworks.com/
上記のサイトにて予告編など、かなりの情報を得られることができます。是非遊びに行ってみてください。
非常に内容の濃い投稿なんですが、残念ながら、イメージ・ファイルが全くありません。もし、関係者でこの原稿に花を添える意味でそういったファイルを提供できる方をご存じでしたら、Mag編集長までご連絡くださいませ。
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『赤目』の世界は極楽浄土も地獄も、この現世に混在していることを知らしめる。畜生の巣食う底辺の世界を幽玄の世界の如き巧みな美麗さで描き、どちらの世界も所詮は表裏一体、似たような空間であるということを我々に再認識させる。
主人公・生島与一は自らを死にぞこないの「漂流物」と定義して生き死人のように流離おうとする。が、育ちの良さと中途半端に利口な頭が邪魔して、この世の春を謳歌することも、この世を捨てることも出来ない「愚図」の男である。
そんな生島を演じるのは、監督・荒戸源次郎が「奴は本物だよ」と太鼓判を押す新人・大西滝次郎。車谷長吉が原作で描いたとおりのイメージで、全身から不信感を漂わせ『赤目』の世界を彷徨い、尼崎の生き死人どもから白い目に晒されるよそ者を見事に体現している。
限りなくあの世に近いこの世といえる尼の放つ独特の猥雑で、淀んだ空気が充満するこの『赤目』の世界に、観る者はいつしか生島のように時に不快に感じながらもその輝きに魅了されていく。
釜々崎から「アマ」(尼崎の俗称)に流れ着いた生島は、焼き鳥屋「伊賀屋」の女主人・勢子ねえさんに身請けされ、ぼろぼろのアパートの一室で日がな一日、臓物に串を刺し続ける。そのアパートの住人をはじめとして、「アマ」の住人たちは生島の生ける魂を刺激する強烈なキャラクターばかりだ。
「アマ」で最初に生島と接触する内田裕也演ずる凄腕の彫り師・彫眉は全身から冥土の妖気を放ち、生島の動向を影で見据え、それとなく裏の世界へと引き込んでいく。ある時は白昼、神社の境内にしゃがみこんで、放し飼いの鶏に小石を猛スピードで投げつけまくっている気のふれた暇人として、またある時はカタギの生島に拳銃の運びを任すヤクザ者として登場する。間接的にせよ、直接的にせよ、何かと意味深に生島の潜在意識に入り込んでは魂に訴えかける。
隣人に客を連れ込む娼婦たちは、「アマ」の路地裏で「ちょっと兄さん、遊んで行かへ〜ん」と、潰れた艶声で客引きをしている怪獣のような風貌の足を引きずる肥満女。交合中にJR山手線の駅名を順々に唱え、男が果てる寸前に「大崎、お先ぃ〜」と見事な韻を踏む老娼婦、といった皆不快なほどに個性的な面々だ。彼女たちは人生の敗北者の見事な輝きでもって、生島の屈折した内面を照らし続ける。
毎朝、生島の部屋に彼が捌く肉や臓物といった獣の屍が満載されたビニール袋を、ドサッと乱暴に置いていく「伊賀屋」の謎の配達人・犀ちゃんを『青い春』で主役を凌駕する輝きを放っていた新井浩文が、静かなる狂気でもって演じている。その得体の知れぬ鋭い眼光の奥に、自分のいる環境に対する疑問や、生島とはまた違った焦燥感がみてとれる。それ故に彼は生島に冷たく接するが、どこか憎めない純粋さが滲み出ている。
辞書の「新解さん」(新明解辞典のこと)だけが友人だと思いこもうとしていた生島を、母親のように見守り、「こんなところにおったらあかん」と心配する。そんな優しさと強さを持った人間味溢れる女主人を大楠道代がさらりと演じている。
生島に「我が身がパンパン(売春婦)やった」という誰にも明かさなかった「己の忌わしき過去」を語り、本音で接してくる勢子ねえさんを生島は面倒くさく不快に思いながらも、その温かみに心を開いていく。勢子ねえさんが部屋に残した灰皿代わりの蜜柑の皮がぼそりと映し出される場面に、そんな生島の心が集約されている。
原作では、勢子ねえさんは哀しい女という印象が強調されていたが、本作では「忌まわしき過去」を感じさせない強さがある。それは演じた大楠道代の自然なアレンジであろう。
とはいえ、さみしい女であるところは原作同様強く感じられる。用もなく生島の部屋を訪れては、無邪気に話し、自分の末路やと言わんばかりに「九十九歳で嫁入りした老婆」の歌を意味深に歌う姿に。
この「アマ」という妖しき光彩楽土から、勢子ねえさんとともに、生島を現世へ戻そうとする橋渡し人が、彫眉の女である綾(寺島しのぶ)だ。この世の中にあきらめを抱き、ひたすら屍に串を刺すことで無の境地に入らんとしていた生島の単調な生活は、綾との関係が深まるにつれ華やぎだす。
実際、彼は綾と肉の契りを結んだあたりから、あらゆる物事から逃避するのを辞めて、徐々に行動的な男に変貌していく。「漂流物」から「臓物男」として転生したかのように、いつしか「アマ」の生活に順応しているのである。
綾と肉体関係を結んだことで、彼女の兄・真田(大楽源太『ナイン・ソウルズ』)から殺される危険に陷ようとも、生島は逃げずにひたすら串を刺し続け、堀眉とその弟子・業(大森南朋『殺し屋1』)、や勢子ねえさんたちの指令を、ビビりながらも次々にこなしていく。気が付けばいつの間にか、彫繭たちのいる裏社会の住人となっているのだ。
最初は「あんたはここでは生きていけへん人や」と生島を「アマ」から帰るべき場所(彼にふさわしい現世)に戻そうとしていた綾だが、生島の「漂流物」としての決意を読みとり、究極の光彩楽土である赤目の四十八瀧にその魂を解放させに向かうのである。
「漂流物」として投げやりに生き、この世の中に何も期待していなかった男が体験する極楽のひととき。生き地獄のような毎日も、何がきっかけで極楽世界に転ずるかわからない。この世の中、思わぬところに極楽も地獄も潜んでいるものなのだ。
『赤目』は退屈そうに見えるこの現世も見方次第で極楽にも地獄にも変化し得ることを「アマ」の底辺から伝え、この世の中もまんざら捨てたものではないことを実感させたのち、赤目四十八瀧へと向かい、生の素晴らしさをこの世のものとは思えぬ美しさで見せつけ、我々の魂をずうずうしく清めてくれる有り難い作品である。
合掌
reviewd by 中川延彰
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