フジ・ロック・フェスティバル ’99
開催日:7月30日、7月31日、8月1日 計3日間
場所:苗場スキー場
チケット代:1日券1,5000円 3日共通券39,000円
出演者(スマッシュHP参照)60組以上
キャンプサイトあり
僕は今、上記決定事項を前にニヤリとしている。
ついにスマッシュ及び日高社長は“仕掛けてきたな”って感じている。
場所は朝霧高原ではないが、朝霧でやろうとしたことを、正にそのまま苗場でやろう としているって感じている。
主催者は僕らにこう言ってるんだ。
「これが本当にオレがやりたいことだ。さあ日本のロック・ファン達よ、どうする? 」
主催者は、日本で本当のロック・フェスティバルを実現させ、成功させようとしてい るんだ。
今現在発表されている限りの情報を頼りに、フジ・ロックフェスティバル’99につい て、僕が、全くもって僕個人の問題として思いを馳せてみた。
“僕は本当にロック・フェスティバルを望んでいるのか?それとも、ただビック・コ ンサートが見たいだけなのか?”
僕はロック・フェスティバルを体験したことがない。
そもそも、過去日本でロック・フェスティバルが存在したのだろうか?
僕が思い当たる唯一のロック・フェスティバルと言えば、2年前のフジ・ロックくら いだ。
去年のフジ・ロックはロック・フェスティバルとは言えないだろう。
あれは巨大なロック・コンサートだった。(僕は感動して泣いたけど…)
今年のフジロックは間違いなくロック・フェスティバルになる。
体験したことのないロック・フェスティバルを、僕が乏しい想像力で位置付けるとす るとこうなる。
ロック・フェスティバルとは、参加者が音楽を媒介にして生み出されるその場の空気、
雰囲気を楽しむ限られた時間であり、祝祭的空間。
決して音楽、ましてや演奏者が主役ではなく、参加者個人個人が自主的に楽しむ場であり、時間である。
テーマなるものがあるとすれば、それは個人の自由。
こんなところか。
本当に、こんな時間と場所が夏の苗場に3日間出現するのならば、ボクは是非参加し
たい。
“しかし…僕はロック・フェスティバルを体験したことがないんだ。”
スマッシュの掲示板を見ると、やはり出演者についてのコメントが圧倒的に多い。かく言う僕も、現時点でさえ、今年のフジロックにおける最大の関心事は出演者だ。
これについては当然だと思う。
しかし、もしフジ・ロックフェスティバル’99がボクが想像するようなフェスティバ ルであるなら、出演者や、またその音楽は、祝祭空間を作り上げるための媒介でしかない。
“しかし…僕はロック・フェスティバルを体験したことがないんだ。”
個人の自由。
“僕は自分の部屋以外の場所で、本当に僕個人の自由を感じたことがあるだろうか?”
ここ日本においては、いつだって個人の自由は集団の自由に押しつぶされている。
自由までもが、個人より集団を優先させる圧倒的多数決の論理。
集団の自由を守るために、個人の自由を規制する。
自由のための規制というロジック。
そして僕は、いつの間にか集団の自由の中にいることに慣れてしまっている。
しかも最近、居心地がイイとさえ思っている自分に気付く。
集団の自由は楽だ。
個人は責任をとらなくてイイから。
主催者は、今年のフジロックで、個人の自由が完全に守られる場所を作ろうとしてい る様に感じる。
なんてったってロック・フェスティバルなんだから。
個人の自由が完全に守られる場所とは、完全なる自己責任の世界。
この世界においては、何が起こっても全て主催者の責任、とはならない。
生きていれば、いつでも、どこにでもある事故の可能性。
個人が想像力を働かせ、些細な可能性さえも見逃さず、準備して行動する責任を持た
なければならない。
個人の自由を最大限認めると、ゴミなんか散らかし放題になるんじゃないか?
違う。
すばらしいフェスティバルが実現されれば、みんなが考えるはずだ。
“ここをゴミの山にして帰ったら、来年フジ・ロックは出来なくなる。”って…。
そう考えれば、何の強制もなく、ゴミ箱さえあれば、個人が個人の判断で行動する。
楽観的すぎやしないか?
当然。
ロック・フェスティバルの基本的思想は楽観主義とロマンティシズム。
ロックを愛する人を信じているからこそ成立する。
但し主催者は、過去約10年に渡ってロック・フェスティバルを構想し、実験を繰り返してきたそうだ(何年か前の日高社長のインタビュー)。
曲がりなりにもフジロックは、過去2年の実績と経験がある。
単なるロマンティシズムだけでなく、過去の経験から下地は出来たと判断したのだろう。
“しかし…僕は本当に個人の自由を望んでいるのか?”
もちろん。
だって僕はロックを愛しているから。
“しかし…僕はロック・フェスティバルを体験したことがないんだ。”
チケット代、1日券15,000円、3日共通券39,000円。
値段ついては、日高社長が言っているとおり、個人個人が判断することだと思う。
僕個人としてはとっても複雑だ。
なぜなら、僕が今まで述べてきた論理と明らかに矛盾するからだ。
本当のロック・フェスティバルなら、この値段は高い。
但し、出演アーティストを見てしまうとしょうがないかな、って思う。
このくらいのアーティストを呼ばないと人が集まらない現実。
そして、日本ではハード面のコストが異常にかかる(日高社長のコメント参照)ため、
人を集めないとペイしないという現実。
僕は単純に、チケット代がこの値段でないと、日本ではロック・フェスティバルが開
催できない、という現実なんだと思う。
では止めるか?
主催者は、しっかりこの判断をしたんだと思う。
だから僕も、個人でしっかり判断しようと思う。
参加するか?しないか?
僕は僕の判断で、参加する。
そう決めた。
現時点でチケットは発売されていない。
現状このチケット代について、高い!と発言している人がいる。
そう判断した人は、参加しないのだろう。
参加しないと決断したんだ。
現時点では十分発言権もある。
今年のフジ・ロックを、とっても楽しみにしていた人で、チケット代が高すぎて参加できないという人には、はっきり言ってメチャクチャ同情する。
但し、中止にならない限り、参加しなかった人達にはもう、このフェスティバルの善
し悪しや、成功か失敗かについての発言権はない。
参加した人は、フェスティバル終了後、もう一度きちんと判断すればいい。
このチケット代は高かったのか?
参加した人は、個人でしっかり判断して、発言し、行動すればいいんだ。
“主催者のロマンティシズムに参加者を巻き込まないで欲しい。”と言う人達がいる。
冗談じゃない。
主催者の夢に、僕はお金を払って乗っかるんだ。
逆に言うと、主催者の夢がなければ、フジ・ロックフェスティバルなど存在しない。
主催者は、ひたすら個人の夢に向かって突っ走ってもらいたい。
そこに僕はお金を払う。
その代わり、フェスティバル終了後、僕は判断する。
この主催者の夢とは、言わずもがな、ロック・フェスティバルを実現させ、成功させるって事。
ロックとはポピュラーミュージックだ。
ポピュラーミュージックの正義が、常にリスナーの判断と共にあると極論すれば、自
ずと結果は出る。
もし今年、参加者が“No!”と言えば、来年以降フジ・ロックフェスティバルは変質
せざるを得ないだろう。
規模の縮小か、あるいは中断まで考えられる。
容易に想像できる結論として、「やっぱり日本ではロック・フェスティバルは馴染まない。みんなただ、大規模なロック・コンサートを望んでいるんだ。」という結論。
主催者の夢を根本的に否定する結論だ。
こんな容易に想像できる結論を前に、主催者は敢えて日本で、ロック・フェスティバ
ルを実現し、成功させようとしている。
ここまで読んで頂ければお分かりのように、僕がここまで書いてきたことは、僕の個人的な希望と、大いなる不安である。
僕はロック・フェスティバルを体験したことがない。
僕は、相変わらず、発表される出演者に一喜一憂してる。
僕は、あんなに望んでいた個人の自由を与えられたとしても、僕はその自由を満喫できるだろうか?
僕は、やっぱりある程度規制されて支持通りに動けば、誰か他人が責任をとってくれる方が楽だと考えてないか?
僕はただ、一度に多くのアーティストのコンサートが見られるっていう単なるビック・コンサートに行きたいだけじゃないのか?
やっぱり39,000円は痛いなー。
僕は、こんな不安を吹き飛ばすよう、7月30日、7月31日、8月1日の3日間、苗場で思いっきり楽しもうと思います。
どんな状況になっても絶対大丈夫なように、しっかり準備して、フジ・ロック・フェスティバル’99に参加します。
僕は初めて、本物のロック・フェスティバルを体験するのです。
不安はあるけど、メチャクチャ楽しみです。
そして当日は、僕個人が主役なんだ。
Reported by 豊間根 聡
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