sherbets at 神戸チキンジョージ(2001年11月19日)
 綺麗で鋭く、細く白いシャーベットが冷たい場所から出され、溶け出た美しい蒸気がステージを包んだ。いろんな色の光に照らされ、その白く美しい気体はよりいっそう綺麗になった。そこに4人の影が加わり、1枚の絵となった。

 敏感な人が物事を敏感に感じ、自分の中だけにあるものを音楽や映画、小説の様な多くの人に受け入れられやすい形に変え、個人の考えがたくさんの人に伝わる。そこにはメディアと同じ考えもあり、逆の意見もある。僕たちはたくさんの敏感な形に触れることができる。正しいとか間違っているとかは問題ではない。誰もそれがあっているかどうかはわからないから。

 何かをすることにおいてタイミングというものは、すごく大事だと思う。当然その何かがすばらしいものでないといけないが。記憶に残る何かは、その時々の色々な状況と関係あると思う。今回のツアー名は「VETNUM TOUR」。今遠いところで悲しいことが起こっている。「VETNUM 1964」というアルバムをひっさげ、ツアーを回ることで、たくさんの人にこの悲しい出来事のもうひとつの見方を伝えているような気がする。ほとんどのことに善と悪が共存し、どちらも正義であり悪である。でもたくさんのメディアは片方の正義しかとりあげていない。この状況では、この名前が大きなメッセージを持っていると思う。

 「第三の男」という映画の中で「長い間平和であったスイスで生まれたものは、ハト時計だけだ。」というセリフがあって、僕の友達が「多くの芸術は悲しいことから生まれるのかもしれない。」といった。すべての芸術が、何かへの反抗から生まれる悲しさからできるとは思わないが、この二つの言葉が、間違っているとも思わない。IMAGINやNO WOMAN NO CRYなどの今でも名曲として色褪せない曲は、戦争や差別という悲しい中からできた。悲劇性が強ければ強いほど僕たちは、その作品に興味をもち、惹かれる。一番悲しい人は現実だと思う。作品が現実に近づけば近づくほど、作品としての純度が増し綺麗なものになり、現実味を帯びなくなる。そしてその結果、作品は素晴らしい芸術になる。皮肉にもあまりにも綺麗な芸術は、悲しいことと、切り離すことができないものなのかもしれない。悲しいことや綺麗なものに触れて幸せになることは同じものだと思う。矛盾した感情もすべて同じ箱に入ってて、あるひとつだけの感情が出されるときや矛盾した感情が同時に出されるときがあるのだと思う。僕が好きな曲を聴いたとき後者の感情が箱の中から出される。悲しみと優しさは同じ成分で同じ箱に入っている。だから人は、悲しい歌を聴き、その歌を綺麗だなって、感じる。

 最後に素晴らしいライブを見せてくれたsherbetsと全てのstaffに感謝。

report by yosuke.


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