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僕がレディオヘッドという名前を知ったのは高校生の、音楽雑誌での新譜レビューだったと記憶している。傑作「the bends」のジャケットの人の顔が印象的だったのを記憶している。だけど、音楽そのものに触れるのはもっと後でした。当時はレディオヘッドのかわりにジェフバックリーを良く聞いていた。友達でレディオヘッド気違いがいる。そいつ経由でレディオヘッドの音をやっと知ることになる。レディオヘッドもジェフバックリーを愛してやまなかったと知って、興味を持ち、全作品を聞き始める。「KID A」が出た頃か。その2週間後、当時聞くことは無かった「the bends」は、僕の満員電車の通学を癒してくれるマストアイテムになっていった。ロックの枠で、全てがイマジネーションから流れ出すようなメロディに。
そんな彼らが横浜に来るので、生を目撃しにいった。 ちょっと凝った照明に、モノクロのモニタースクリーン。それがセットの印象だった。演奏は淡々とこなしているように見えた。過剰演出しない、というか、素、とでもいうか、自然体とでもいうか。オーバーアクションは無かったように思えた。ただ、トムが素晴らしすぎた。 トムのどこまでも伸びていく、そら(宇宙)まで届けとばかりな広がり。そして俺達のこころひとつひとつにもそれは届く。そしてそれは澄み切ったひとつの単なる祈りであり、単なるいのちであり、単なるnatural。そのあまりにも単なるものだったため、淡々という印象を受けたのだろう。 そしてトムがひとつの曲を弾き出し、唄いだす。「lurgee」だった。 「the bends」以外のアルバムをよく聞いてなかったのと、来日公演に備えて改めて予習、ということもしなかった僕。無論、その瞬間の感覚の新鮮さ、感動を失いたくなかったためで。演奏したときは何の曲か分からなかった。 その瞬間の感動はやってきた。ライブが行われた場所は無論室内。こもった場所である。しかしそれでも、その音はどこまでも広がろうとする。まるでここが広い何にも制限されない空間であるかのように。 そう、今思うと、あのメロディこそ「自由」ってやつだったのかもしれない。 話がそれるが、自由ってやつは、そもそも存在しないのでは? なんて思っている。必ずなんらかの制限を受けているから。人間は空を飛べない。時速100Kmで走ることは出来ない。そんな根本的なところから、単純に身近の生活から金銭的な問題で、時間の問題で、好きなときに好きなところにいけない。 立場、身分から思ったように態度を取ることが出来ない。他にも無数にある。「制限された自由」を日々味わっているように思ってる。 客観的に見て、lurgeeを演奏しているその状態も、多くのものに制限されている。 それでも、僕は自由を感じた。その瞬間の自由を感じることが出来た。自由ってのはこういうものなのか、と思った。じぶんのなかのこころが広がったのを強く感じた。どこまでも伸びていくメロディに引っ張られるように。 今、レディオヘッド@横浜アリーナを振り返る。思い出そうとする。いろいろな曲をやった。「the bends」から僕の好きな曲も何曲かやってくれた。でも、もっとも心に残ってるのは、その瞬間です。その瞬間をありがとう。レディオヘッド。 Reported by Taku Katayama 無断転載を禁じます。The copyright of the text belongs to Taku Katayama. They may not be reproduced in any form whatsoever. To The Top. |