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「権力と戦え」 映画『Do The Rhight Thing』のエンドロールで、PUBLIC ENEMYが諭すように投げつけたリリック。ちょうど主人公が「憎しみだ!」と叫びながら放り投げたスチールのゴミ箱のように。 あれはブルックリンを舞台にしていた。ジェノバで、タンクトップにジーンズ姿の女性がしきりに叫び続けていた言葉があった。 「Liberal Power ! Liberal Power ! Liberal Power ! 」 自由の力。高圧放水と催涙弾が白く煙るなか、何人もの機動隊員に殴りつけられ、金網のバリケードに押さえつけられ、装甲車のなかに引きずられてもなお。ずっとそう訴えていた。 ニュースの映像は、そこでバリケードの向こう側の光景に切り替わる。静かで豪華な室内で、メディア向けに笑顔で談笑してみせる、高価なスーツに身を包んだサミット(頂上)のボスたち。ブレアやブッシュやシラク、プーチン、小泉。だれか1人でも、厳重に警備さた立派な建物を出て、バリケードの向こう側(ぼくらからしたら"こちら側")に立ち、叫び声に耳を傾けたのか? ジェノバはコロンブス生誕の街だ、とある新聞の記事にあった。新大陸を発見したと讃えられるコロンブスこそ、穿ったグローバル化をもたらした張本人である、とも。新大陸は、西欧から見れば発見だったが、そこに住んでいる人々には元からある場所だ。そのグローバリゼーションが先住民にもたらしたものは、迫害、駆逐、支配、奴隷労働‥‥。 さんざん日本に「モノを売り過ぎるな。貿易黒字を減らせ。こっちのモノも買わないとクソ高い関税をかけて、Made In Japanをだれも買えなくするぞ」とゴネていたアメリカが、そのジェノバで、「自由貿易こそがグローバル化を押し進める」とうそぶく。医療、農作物の分野で世界中の遺伝子を漁り、特許化し、独占し、オリジナルの遺伝子を持つ(なにも組み換えていない自然のままの)他国原産の米や麦や医薬品の原材料に対して「パテントを払え。払えなきゃ売るな」と凄む。これはマジの話だ。その筋の金融屋の取り立ての手口よりもタチが悪い。Co2は排出しっぱなし。一度合意したはずの京都議定書の批准を反古にする。 彼らが唱える『グローバル化』は、自分勝手な論理を世界に押し通すことにすぎない。自国の利益、自分の利益、権力の利益、自分に票をくれる利権団体の利益‥‥。Globalという言葉の意味、地球にとって利益になることはなにひとつない。そこにはいろんな人々が暮らしているというのに。 日本もまたしかりだ。どこからか盛り上がった憲法改悪論はプロパガンダのなにものでもなかったし(※2000年のContribution『総選挙』を参照してください)、教科書問題にしても立派なプロパガンダ、情報操作政策だということを忘れないでほしい。執拗な抗議を示す韓国や中国は、教育の重要性と危険性をことのほか理解していると思う。かつて侵略を受け、支配され、他国の言語と習慣、文化を自分の国の子供たちに教えることを強要された歴史があるからだ。それをかつての侵略国が「日本がアジア各国を侵略したことで良かったこともある」と子供達に教えるという。『教科書をつくる会』の教科書を認めたのは文部科学省の検定委員会で、当然、政府が責任をもつべきことなのに、「政府としては干渉しない方がいい」と他人事のように言う。ぼくには理解できない。 小泉純一郎は「8月15日に靖国神社を公式に参拝する」と言ってはばからない。そこがどういう場所か、行ってみればすぐわかる。馬鹿でかい鳥居に、爆弾三勇士の銅像、大村増次郎、東郷平八郎、山本五十六といった官僚軍人、日本軍が使った大砲、機関銃、その他もろもろが祭られ崇められている信じがたい場所だ。そこに日本の首相という立場でお参りに行くと言うのだから、それがどういうことかわかるだろう。 歴史を振り返ると、独裁者が登場するときは、いつも似通った特徴をもっている。小泉純一郎がアドルフ・ヒトラーになることだって充分にあり得るのだ。ヒトラーでさえ最初は民衆に諸手を上げて迎えいれられた。インフレでガタガタになった経済にテコを入れ、国民的な音楽家の音楽を愛でた。マスメディアを重視し、演説をするときはまるでショーを演じるように取り憑かれたように声を枯らした。ぼくには、同じSwastika Eyes - 鍵十字の目をしているように見える。 今度の選挙で懸念されるのは、ちょうど戦前のドイツ、日本、イタリアのファシズム国家がそうだったように、野党が与党にまったく協調してしまう、『挙国一致』的性格の内閣ができはしないかということ。民主党が、日頃よく言っている「自民党には反対するが小泉さんには協力する」という矛盾した主張。野党で(というか与党も含めた日本の政党で)まともな政策をもってるのは民主党くらいなもんだけど、戦わずに、はなから敗北宣言をしている政党に全て任せて、なにかを変えれるとは思えない。 そして「変革の人」小泉純一郎は、笛を吹くだけで、まだなにひとつ取っかかってすらいない。 権力に虐げられている人たちは今でも大勢いる。ハンセン氏病の人々はそのひとつの例だが、国を相手にしたとき、あの方々がごくごく当たり前の人権を取り戻すための唯一の社会のシステムが、あの気の遠くなるような永い裁判だけしかないという異常さ。そして改めて思ったのは『国』という権力の顔のなさと物凄さ。そこに居座り、それを操っているのも、また人間にすぎないのに。 「権力と戦え」 音楽が確信を与えてくれることは多い。手段はどうあれ、そのポリシーは持ち続ける。ぼくにできることのひとつは、苗場に出発するまえに、投票所に足を向けることだ。そして、もう他人任せにしないで主張することも、だ。 Reported by 児玉憲太郎. 無断転載を禁じます。The copyright of the text belongs to 児玉憲太郎. They may not be reproduced in any form whatsoever. To The Top. |