THE SEA & CAKE at 渋谷クアトロ(2001年2月3日)
この目で見た、ジョン・マッケンタイアの入れ墨と...
 給料も出た1月28日。やっとだ!と思いチケット○あ目指してわざわざ街まで繰り出してに行ったのに不愛想な姉ちゃんが一言「○あ取り扱い分は終了いたしました」。・・・・・・・・

 ガ〜〜〜〜〜ン・・・・・・・??!!!??そんな馬鹿な。ソールドアウトですか? このバンドが?何で?余裕だと思っていただけに焦った私は、昼寝をしているであろう母親のいる家に電話してチラシに書かれている他の取り扱いエージェンシーを確認させた。家から歩いて30秒の所に存在する某コンビニなのに「あぁ何で!?こんな都会の駅に○ーソンなんてあったっけ?!」と混乱する自分を抑えながらも必至に思い出そうとすること数分。「は!浪人中に通った某予備校の隣にあったはず。潰れていなければまだあるはず!」と本当に競歩しながらたどり着き、使ったこともない機械に四苦八苦しながら画面をタッチすること数十回。あったよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。取れたよ〜〜。良かったよ〜〜〜〜〜〜〜〜。も〜こんなに真剣にチケット取りしたのも久しぶりだぜ、それもこれもみんなTHE SEA & CAKEの生を観るため。そして観たよ、感じたよ、感動したよ。お初にお目にかかりました!

 別プロジェクトで各々散々来日してはいるものの、やっぱりこのバンドでやってもらわないと。最新作「OUI!」を引っ提げての来日公演です。当日券も出ない、ダフ屋さまでうろつく始末。こんなバンドなのに。「こんなバンド」というのは別に「詰まらないバンド」とかいう意味じゃありませんよ。解散してしまったPAVEMENTの最後のライヴも「完売した」と聞いたときは当時本当に驚いた。そしてこのバンドのチケットまでも。

 私の感覚だとこの手のバンドは、椅子でも座って知らない人と酒でも交わしてのんびり楽しむものだと思っていたので、例えクワトロサイズだとしてもまさかギュウギュウで観ることになろうとは夢にも思わなかった。こういった音が主流(?)になってるだなんて「知ってる人しか知らない」世界も変わってきたのだろうか。それともトータス効果?

 やや遅れ気味でのスタート。淡々と演奏するバンド、彼らが奏でるその一音一音を聞き逃すものか、と言う感じで耳を傾け、その飛び交う波に身を委ねる観客。しんみりモードが崩れることもなく、ただひたすら膨張し形成されていくシャボン玉の中にいるよう。サム・プレコップ独特のあのギター音。軽〜いトーンなのにどうして生まれるその説得力。彼が弾き込めば弾き込む程、私達の心はその重なり続ける波間に引き込まれていく。そして無心で叩くジョン・マッケンタイア。あぁ、あの入れ墨だよ。トータスの新譜リリースの際、あらゆる雑誌で目にしてきたあの入れ墨! 遂に生で確認したよ。あんなに肌が白いもんだから、余計に目立ちます。楽器がドラムなもんだから、更に目立ってます。そこに入り込んでくるシンセがまた絶妙。シャボンの七色はこの音だったのか。本当に涙もの。いつパっと消えてしまうとも限らないギリギリのラインで最高の芸術が完成した瞬間だ。

 割れないように、割れないように、手でそっと包み込んで、割れないように。曲の合間ごとのチューニングも欠かさない。細かな音作りも綿密だ。膨らめば膨らむほど危うくなるその存在。映し出すものがだんだんとぼやけてきて、いよいよ自分自身がシャボン玉そのものに吸収され、ふんわりと宙を舞い、次々と自分の中を通過していく彼らのヴァイヴを見届ける。こんな気持ちの良い世界が他にあっただろうか。激しくも悲しくも全てを受け入れて放出していく。それを直に感じる。絵画を観たときに感じる「心に突き刺さる現実」。どんなに有り得ない世界が描かれていたとしても感じとることの出来る現実。THE SEA & CAKEにはそれがある。作り手自信の中に存在し得た、空想とは違う、宇宙的な空間。そんな世界を目の当たりにしてみたいと思った人たちが集まってソールドアウトになったこのライヴ。シカゴ音響派云々そんな狭い視点でみるのではなく、もっともっと高い位置から、広い視野でもって感覚的に捉えるべき音楽だ。夢見心地でも良い、自分に伝わってくるあらゆるものを受け止めていけば自然と形は成り立っていく。そうしてこのバンドが出来たんだから。そんな風に言っているように感じた、貴重なライヴだった。経験できて本当に嬉しい。

Reported by satomi takada.


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