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20年目のジョン・レノン 〜 ジョン・レノン・ミュージアム訪問記 〜 「どうしても休むのか」 「はい。すみません。どうしても」 週末に1日休暇を取る旨、申し出た時の私と上司の会話である。私がどうしても今年の12月初めに行くのだと心に決めていた場所。それがジョン・レノン・ミュージアムだ。絶対に来年じゃ遅いんだ。あんたにはわかんないだろうけどね。 毎年12月8日は、ああ、ジョンの命日だなとちょっと曲を聴いて振り返る程度で済んでいたのが、今年はまったく重みが違った。「40歳の12月8日」。私は20年前のあの時のジョンの歳に追いついたのだ。この先、だらだらと歳を取らないためにも、心して見て来ようと誓った。で、本当なら12月8日当日を休暇にしてミュージアムに…というのがベストだったが、おそらく大変な人だろうし、どうせ休みをもらって東京遠征するならついでに、と他の用事も絡めた結果、6日ほど早く12月2日を決行日にした。 東京駅からJR京浜東北線直通で30分あまり。「さいたま新都心」駅を降りると、すでに駅自体がだだっ広い鉄筋ドーム状の建物になっている。ミュージアムのあるスーパー・アリーナも目の前だ。チケットを買って入口まで上がっていくと、すでに少し入場待ちの列が出来ている。 まずはミニ・シアターのような部屋に通され、7分間、ジョンの生い立ちをフラッシュ・バックしたようなフィルムを。それから順を追ってフロアの展示を見ていく。ビートルズ時代の作詞原稿や、リッケンバッカーのギターなどの類は、今までのビートルズ関連の展覧会で何度か見てきた気もするので、さほど感動しなかったが、新聞や自分の漫画をコラージュして、オリジナルな雑誌を作ったり、先生の似顔絵集があったりと、彼がやはり子供の頃からアーティスティックな才能があったことには大いに納得だった。ちなみに、あの一筆書きのような眼鏡の自画像は、このミュージアムのトレード・マークにもなっている。 そしてアーティスト、ヨーコ・オノ。彼女の個展で「釘を打つ絵」を前にしたジョンとの出会いのやりとりや、はしごを上ったら、天井に書いてあったのが 「YES」だったのをジョンが気に入った話は有名だが、それらも見事に再現してあった。ここに来るまではヨーコのアートがどんなものかはよく知らずにいたが、「〜しなさい」という言葉の力、想像の力をベースにしたインストラクション・アートと呼ばれるもので、あの名曲"IMAGINE"も、実はそれに基づいていたのだ。ジョンにとってのヨーコがどれだけ大きなものかがわかったような気がした。ビートルズの解散、ヨーコとの平和運動、ニューヨーク時代。2つのフロアを使い、時間を追って展示が続く。ダコタハウスが再現された部屋では、白いピアノに座ったまま動かないファンもいる。そして1980年。いよいよ『ダブル・ファンタジー』のレコーディングが始まり…。 果たして12月8日をどう表現するのかと進み、角を曲がった瞬間、突然巨大な壁に突き当たった。何もなかった。ただ一面真っ白な全面の壁だった。中には何も気づかずに通り過ぎていった人もあるだろう。だが、よく見ると上の方に本当に小さく「1980・12・08」とだけ刻みこんであった。その圧倒的な迫力に私は泣きそうになり、しばらく動けなかった。まるで今まで見てきたものすべてがムダだったかのような、この一瞬にして何もかもが真っ白になってしまったかのような、あまりにも強烈なアートだった。 たとえどんなに立派なミュージアムを作ることが出来ても、20年前、やはり私たちは偉大な人を失ってしまったのだ―― そんな想いでいっぱいになった自分をどうやって連れて帰ればいいのだろう…。ようやく我に返って、たどりついた部屋は、カウンターやテーブルがたくさんあり、ジョンへのメッセージを届ける場所だった。ガラス越しの冬の日差しを浴びながら、皆思い思いにペンを走らせている。ジョンのタペストリーの下に透明な箱がいくつもあり、好きなジョンのところへメッセージを投函するのだ。もちろん、本当にジョンが読んでくれるはずなどない。だが、それこそ想いが届くと"IMAGINE"すべきなのだ。ちゃんと想いの出口が用意されていることに救われて、私はこう書いた。 THANK YOU FOR YOUR LOVE & PEACE AND ROCKN' ROLL !!
Reported by 小谷育代. 無断転載を禁じます。The copyright of the text belongs to 小谷育代. They may not be reproduced in any form whatsoever. To The Top. |