環境的音楽"オシリらんNOSIN
"オシリらんNOSIN"は造語であるが、言うまでもなく……といった導入で書きたかったけど、今回はバンドの紹介もかねているのでちゃんと説明しようと思います。"オシリ"の部分はオシリペンペンズを表し、短いけど"らん"はあふりらんぽ、"NOSIN"はZUINOSIN。この3つのバンドがいま関西の若いバンドとして知名度と共に実力に伴う評価を獲得しつつあり、ちょっとほっとけない状況にある。
この3つが凄いということは(自分が知る限り)既に多くのメディアで伝えられているけど、短絡的に"ボアダムスの子孫"とか"関西ゼロ世代"とかでまとめる風潮にボクは危機感を感じていたりする。
ボアダムス系譜で語る場合は、ボアの精神性であったり肉体性であったりを噛み砕いたうえでするべきだけど、いま"ボアダムス"というコトバはファッションのように使われる傾向があって「ボアダムス? カッコイイじゃん」、「ボアダムスの流れ汲んでるの? それ、カッコイイってことじゃん」みたいな、"ボアダムス"という情報が持つ広告塔のもとに集まるだけのひとたち、利用するメディアが後を絶たない。
"関西ゼロ世代"というのも、そこにまとめられたバンドたちの表現力に比べたら「関西・00年代」ではちょっと軽い。でも、「ゼロ」という響きとか"何を掛けてもゼロ(自分以外のものになれない)"みたいなところが表現されているなら結構いいなぁと思ってます。
とまぁこのようにギャーと書いてても進まないので、この3つのバンドのオモシロさを書いてみましょう。
はじめにオシリペンペンズ。新宿JAMで天井を這って歩いた発想も面白かったけど、7月頭にあった円盤ジャンボリーのライヴは本当に素晴らしかった。悪名高い自己破滅的なパフォーマンスは影を潜め、最近はヌケのいい縁日ドラムとぺらぺらサイケなギターの存在が表立ってきている。
あふりらんぽはここSmashingMagで紹介しまくってるので今更という感じがしないでもないですが、サウンドのかっこよさをあまり伝えてこなかった気が。70年代ロック風のフレット運びだったり、歪んだ音でパワー・コードをザクザクいく感じとか、ギターの音はひそかに幅広く、深い。
ZUINOSINに関しては音と独特の変拍子。サウンド感が非常にアヴァンギャルドで、ギターのカコイくんなんか常にエフェクターをカチカチさせている印象。バッキバキ歪んだサウンドとポヨヨんとしたサウンドが入り混じり一音一音で踊れる愉快な音楽。過剰なエフェクターと過剰な動きが視覚的に攻めてくる。どぎつい。
今回、実はこんな単純な紹介をしたくて文を書いているわけではなく、ちょっと頭に浮かんだことが……それは"リズム感"に関してだ。
そもそも自分は何故こういった変拍子や極端に歪んだ音が好きなのか。まず80年代というものがあることに気付く。いま23才なので、このときの歳はひと桁。ロックの年表は置いといてもっと私的な年表に置き換えてみると、ボクは意識して音楽など聴いていない。「ずいずいずっころばし、ごまみそずい……」と手を動かしながら歌う遊びや風呂に入るときの数え歌くらいしか今は思い出せない。
90年代は合唱コンクールで歌う曲や音楽の授業で歌った曲、高校の頃は仏教系の学校に通ってたから般若心経なんかも唱えられた。そして、この頃くらいからボクを含め大勢のひとはテレビなどで流れるポピュラー音楽やテレビ番組に自分達がスポイルされていることに気付く年頃だと思う。
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ZUINOSINのNANIくんが「オレらがお国のお相撲さんまがいの、お相撲さんまがいのオトナたちに縛られたお相撲さんまがいの子供たちヤー! オレたちがお相撲さんに縛られたオトナたちによる子供たちヤーーー!!」と叫んでいるのを聞いたんだけど、これは非常に深い。がんじがらめに縛りつける政治があって、さらにボクたちは肉体的でソウルフルな歌を歌ったり聴いたりする機会に恵まれていない。
日本人はリズム感が無いとか、黒人はリズム感があるとかいうけど、きっとそれはそのまま正しいのではなく、日本で育つとリズム感が無くなるとか、そういう文脈になっていくと思う。上の3つのバンドたちはリズム感がないというわけでは無いが、アフロ的なリズムを基調に音楽を作ることはしていないはずだ。日本のお祭りっぽいリズムだったり、突然変異の変拍子だったりする。世界中からみて日本のバンドに変拍子のものが多いのはこういった環境的な影響があるんじゃないかと思う。
さっき3つのバンドにリズム感が無いと断言しなかった理由は、ZUINOSINはちょっと違うけど、彼らが音楽に日本語を乗せる能力に長けているから。日本的なリズムは持っているわけで、別にアフロ・リズムが音楽の全てでは無い。ペンペンズのライヴで「ビートルズは聴きやすいのに ペンペンズは聴きづらい」みたいな歌詞を聴いた覚えがあるけど、言葉が上手に乗っているから耳に残る。ボクの好きな町田町蔵なんかもそうだ。しかし、カッコイイけどヘンテコだから確かに聴きづらい。あふりらんぽはフリースタイル感覚。語感で遊びながら音楽をやっている感じがするし、自由が素晴らしい。
こんな風に考えてみると、別にこの3者はボアダムスの轍を踏んでいるだけではなく"日本で・関西で・その時代にしか鳴らす事ができない音楽"をやっているだけと言える。やっているだけとは言ってもそんなバンドは数少ない。そう思うとボクは、これからもライヴを観続けたいと思うし話ももっと聞いてみたい。「音楽はまだまだ豊かやね」と思えてくるのさ。
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report by toddy photos by saya38
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